作品のない展示室、脇役あってこその主役
世田谷区をふらふら散歩していたら砧公園にたどり着いた。
砧公園には世田谷美術館がある。初めて来た、というか美術館がある事すら知らなかったのだが、せっかくなので少し覗いてみることにした。
入館時に検温し、個人情報の紙を書いて提出させられた。あまりの厳重っぷりに少し驚いたが、このご時世なので仕方あるまい。
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「作品のない展示室」という企画展をやっていた。
企画展といっても、展示物はほとんどない。今までのイベントのチラシなどが何点かある程度だ。
広い。シンプル。静か。
足音がコツコツと響く静寂。
きっと展示物がある時はもう少し華やかな空間になるのだろう。
まるで料理が盛られていないお皿のような。あくまでも主役は料理である。即ち作品である。
その主役を引き立たせる為の存在が、お皿であり展示室なのだ。
主役のいないステージは、少しだけ寂しい感じがした。
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作品を引き立たせる展示室。
料理を引き立たせるお皿。
商品を引き立たせるお店という空間。
そう、お店という空間は商品を引き立たせ、客の目を魅きつける為に様々な工夫が凝らされている。
当たり前っちゃ当たり前である。
お店で見かけて「これいいな」と思って買ってみたものの、自宅で改めて見ると「何でこれを買ってしまったんだろう」と思ってしまう、そんな経験はないだろうか。
この現象は、お店という空間で商品の魅力を最大限に引き立たせているから、通常より魅力的に見えてしまうものなのだろう。
"バフがかかっている"といったところか。
インターネット通販が定着して久しい昨今だが、リアル店舗の需要も無くならない理由はここにあると思っている。
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これはデザインに通ずる話なのだろう。
デザインとは日常生活のあらゆるところに存在しているのだ。
お店や家の内外装、商品パッケージ、広告…挙げていくとキリがない。
モノが溢れるこの時代、数ある中から是非選んでもらおうという工夫。こんな視点で町を歩くだけで面白い。
主役が輝くのは脇役あってこそだ。
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