幸福論と生きがいについて

「幸せって何だろう?」
高校生の頃、バイト先の先輩にそう言われたのを今でも覚えている。その人は大学生だったが、イケメンで、ヤリ○ンでもあって、頭の回転がはやくて仕事も難なくこなすタイプの人だった。いわゆる世渡り上手だ。
そんな順風満帆に見える先輩が、ぽろりと発したその一言。何だか、いつもの彼とは違った一面を垣間見た気がして、妙に印象に残ったのだった。
高校生のお子様だった私は「さぁ、何でしょうねえ…」と答えるしかなかったのだが。

今回は、冒頭の「幸せって何だろう?」という問いについて考える。齢30の私なりに導き出した幸福論だ。

幸せの意味

幸せ。何とも曖昧な言葉である。
辞書で引くと、

(その人にとって)幸運、幸福であること。また、その状態。

とある。

では、幸福って何ぞや?と辞書を手繰る。

現在(に至るまで)の自分の境遇に十分な安らぎや精神的な充足感を覚え、あえてそれ以上を望もうとする気持をいだくことも無く、現状が持続してほしいと思うこと。

なるほど。現状に満足していて、この状態を維持してほしいと思う事か。
前にもちらっと書いたが、私は現状には満足していない。常日頃、もっと変わらなければならないと思い続けている。それでは私は不幸なのだろうか。今度は不幸という言葉で辞書を引いた。

恵まれない状態(環境)にあること。

恵まれない状態(環境)。確かに私は現状に不満ばかり持っているが、恵まれていないとまでは思わない。
やりたい事に対して勉強する時間も体力も充分ある。色々考えるのが何もかも嫌になった時の、気晴らしする手段もたくさんある。それなりの自由は持ち合わせている。
他人から見たら、人によっては「え、何でそれで不満持ってるの?」と言われてしまうだろう。
つまり、不幸ではない事になる。

では、幸せでも不幸でもないとは、一体何なのか。
いや、逆だ。私は幸せでもあり、不幸でもある。
ここである事実に気付く。幸せかどうかなど所詮、主観でしかないのだ。
例えば、とあるおじいさんがいた。妻は何年か前に亡くなって一人で暮らしていた。毎日公園まで散歩して、そこのベンチで3時間ぼーっとするのが日課だった。
人によっては「奥さんに先立たれて一人公園でぼーっとするしかない生活なんてかわいそうに…。」と思うかもしれない。
だが、おじいさん自身は公園にいる時間が好きだった。空や鳥を眺めるのが好きだった。遊びまわる子供たちを眺めるのも好きだった。その時間は穏やかで、静かで、おじいさんにとって至福のひとときだった。妻を亡くしたおじいさんに残された、唯一の生きがいだった。

結局は気の持ちようでしかないのかもしれない。

この例え話のおじいさんは、公園での時間が至福のひとときだったので、何だか幸せそうなおじいさんになった。
では、全く同じ境遇の、別のおじいさんがいたとする。このおじいさんは、「妻もいないし寂しい、やる事がない、特に楽しい事もないけど暇だから何となく公園に毎日来ている、妻に会いたい、生きがいがない、寂しい…」と思っている。不幸だなと思う。同じ境遇でも気持ち一つで180度変わってしまう。

生きがいとは

生きがいという言葉が何度か出てきた。幸せというものを考えるうえで、キーワードになりうる言葉な気がする。再び辞書の出番だ。

生きていることに意義・喜びを見いだして感じる、心の張りあい。

意義、喜び。心の張りあい。何だかフワフワしている。
今一度、私にとっての生きがいとは何なのか考えてみる。

ものづくり
いつか自分の作った物で生計を立てるのが夢だ。自分の作った物が誰かの生活に少しでも元気とか癒し、潤いを与えられたら幸せだなぁと思っているが、今自分にそんな物を作る実力はないとも思っている。だから勉強している。この勉強が果たして役に立つのかは全く分からない。何の役にも立たないかもしれない。すぐ諦めても残りの人生ただ暇になるだけだし、とりあえずやれる事をやろうと思っている。ものづくり自体はそれなりに楽しいし。

野球などのスポーツ観戦
何か毎日に刺激が無いなぁ、つまらないなぁと思ってたから、去年から本格的にスポーツ観戦するようになった。好きなチームが勝てば本気で嬉しいし、負けると凹む。全力で応援出来るのが楽しい。どんな状況でも諦めない選手達からときに勇気を貰う。大量ビハインドからひっくり返して逆転勝利した試合なんか、自分の人生もそうなるように頑張ろうと強く思う。

今現在の生きがいは、この二大巨頭だ。
だが、この生きがいは本当にここ2〜3年ほどで出会ったものだ。それ以前の私はどうだったのだろう。過去を振り返ってみる事にした。

音楽
高校の頃から20代前半あたりまでは音楽(ロック)にのめり込んでいた。辛い時の支えにもなった。バイト代が入ればCDを買い、ライブハウスに足を運んだ。GRAPEVINEが一番好きだったけど、洋楽邦楽ジャンル問わず割と何でも聴いていた。フェスにも何度か行った。ライブやフェスで体を揺らしてる時、「私は生きてる」って強く思った。

ブログ
音楽好きを拗らせてCD屋で働いた結果、音楽業界の裏側や現状を垣間見て(ちょうどAKB全盛期かつiTunesが流行り始めた時代だった)、仕事を辞めるとともに一度音楽全てから遠ざかった。全く音楽を聞かなくなったのだ。ライブにも行かなくなった。

家に引きこもって見ていたのはアニメ。その感想をブログにつらつら書き始めた。誰に需要があるのかもわからないが、何かひたすら感想書いてた気がする。自己満足の世界。今読み返すと、本当に文章とか構成が下手くそで笑えるが。今思うと、あの時ヘッタクソな文章を書き続けてたからこそ今それなりに書けてるんだろうなと思う。

思った事や感想を文章に書き出す行為は楽しかったし、ブログという自分だけの小さな世界も好きだった。最初は楽天ブログか何かでやってたけど、そのうちWordpressで自分のサイトを作った。カスタマイズのやり方とか全然知らなかったけど、調べたり教えてもらったりしながら徐々に作り上げていった。自分だけの楽園を作ってる感じが楽しかった。
最初はほとんど見に来る人もいなかったけど、それでも構わず続けてたら、たまに「感想良かったです」なんて言われる事もあった。嬉しかった。途切れる期間がありながらも細々と続けてたら、ここ3年くらいでアクセス数が激増した。

ぱっと思いつくのはこんなところか。

結局、生きがいって何?

私にとってはものづくりとスポーツ観戦で、過去に遡ると音楽とかブログとかだった。

生きがいは人それぞれだ。

おいしい料理を作って自分で食べる、友達とゲームで遊ぶ、自分へのご褒美を買う、面白くもない仕事から帰って酒を飲む、大好きな人や推しの為にひたすら尽くす、疲れた後に暖かい布団に入る、絵を描いて褒められる、ソシャゲで推しのキャラを引くまで課金する、人を喜ばせる仕事をする、子育て、仏教にハマる、ペットボトルの蓋を集める、技術開発に全力を注ぎ込むetc…

偉大なものから些細なものまで無限大だ。些細なものは本当に些細で、「人生そんなんでいいの?」なんて他人に言われる事もあるかもしれない。自分が現状に満足している、即ち幸福を感じているならそれでいい。高尚なものである必要はない。他人から見てくだらない事でもいい。生きがいなんてそんなもんだ。

今、生きがいがない人へ

自分には生きがいがない、という人も結構存在するのだそうだ。
生きるという事は苦難の連続で、生きがいなしに生きていくのはあまりにも難しい。心が死んでしまうだろう。

苦難と書くと大層な事に感じるかもしれないが、毎朝起きるのだって苦難の一つだ。特に寒い冬の朝は。一日に待ち構えてるのが退屈な学校や仕事だけ、あるいは何もない場合は起き上がる事もままならないだろう。学校が終わった後の友達と遊ぶゲーム、仕事が終わった後の沁み渡る一杯、楽しい事を考えてようやく起き上がって活動しようという一日のモチベーションを得る、そんな人も多いだろう。

生きがいは、人生における心の必須装備だ。

では、どうやって自分の生きがいを見つければいいのか?自分が楽しいと感じる事に、そのヒントがあるはずだ。改めて考えてみると、「あぁ、自分は自分が思ってたより○○する事が好きだったんだな。これは自分にとっての生きがいだったんだな」と認識する事もあるかもしれない。何度も繰り返し書いている通り、どんな些細な事でもいい。

「生きがいがない」という人は、単に自分が熱中出来る事に出会っていないだけなのだ。もしかしたら既に出会っていて、気付いていないだけなのかもしれない。身近にあるものは、それが当たり前すぎて幸せだって事に気付かない。家族を喪って初めて、その家族が生きがいだったと気付く人だっている。

自分は何を楽しいと思うのか、何が好きなのか、いま一度自分の心に問いかけてみるといい。自己分析。これは何も就活の時だけするものではない。

とにかく1つでも見つけて、それで満足いかなくなったら新たな生きがいを探せばいい。繰り返しでもいい。その時楽しければそれでいいじゃん。
ありきたりな言葉で表現すると「自分が楽しいと思う事をやればいい」
この場合の楽しい事とは、純粋に楽しいだけの事だけでなく、辛い事もあるがその辛さ込みでも楽しめる事も含む。スポーツ選手とかそんな感じじゃないかな。

生きがい探しに年齢なんて関係ない。遅すぎるなんてことはない。10代の若いうちから生きがいを見つける幸運な人もいるし、仕事のやりがいを求めて、30代や40代で全く違う業界に転職する人もいる。定年退職後に初めて生きがいについて考える人もいる。

生きがい、それが幸せに必要不可欠なものだ。
随分とっ散らかった文章になったが、これが私の幸福論である。

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