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過去でも未来でもなく、今を生きる

人はよく過去のことを思い出す。生きている時間が長いほど良い思い出、悪い思い出が積み重なっていく。
人はよく未来を夢見る。”将来なりたいもの”や”行きたい場所”に思いを馳せ、それを糧にしたりする。

過去や未来を想起するのは悪い事ではない。
しかし、”今現在”を少し疎かにしすぎてやいないだろうか。
なりたいものの為に多少現在を犠牲にする事はあるだろう。
将来的にムキムキマッチョになりたいから多少辛い筋トレを続けるとか、漫画家になりたいから少し辛くても絵の練習を頑張るとか色々ある。

もちろんそれが好きな事の為なら、ある程度辛くても頑張れるだろう。
辛さの中にも多少の楽しさがあるはずだ。
では、本当にそれが辛くて辛くて仕方なくなった時。楽しさなんてこれっぽっちも見いだせなくなった時。
それでも「目指したいものになるためなら…!」と頑張り続けるのか?
それは現在の自分を蔑ろにする事にはならないだろうか?

辛くて辛くて仕方がなくなった時は、一度立ち止まってみるべきだ。多少の休息を挟むなり、他の方法を模索したほうがいい。
短期的に捉えるとその間成果は出ない。もどかしいかもしれない。しかし、長期的に見たらこの時間は貴重なものになると思う。これが私の最近の考えだ。

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すっかり日課となった野球贔屓球団失点数ウォーキング。
昨日は9失点もしやがってくれたので、9km歩くことになった。

本当は昨夜の時点で「9kmも歩くならどこか美術館でも行くか」と思い、行きたい候補地の西洋美術館(ロンドン・ナショナル・ギャラリーをやっている)か藤子不二雄ミュージアムについて調べる。
が、どちらも事前予約制。
行きたい時間帯のチケットがもう無くなってたり、めんどくさかったりで結局やめた。

そんなわけで、結局自由が丘に行く。
久々にカエルの店に行こうかと思ったが、水曜なのでやっていなかった。
CRAFTHOLICに立ち寄ったらたまたまセールをしていた。
3体くらい惹かれて買ってしまったが、合計1,500円。セールの力。

他にもカトレア通りあたりの店を適当に見てまわる。

11月に閉店予定らしい自由が丘のヴィレヴァンに入る。
前から欲しかったミニ版ウォーリーをさがせのセットを買った。
洋書50%オフはありがたい。
出水ぽすか先生の画集もつい買ってしまった。約束のネバーランドの作者(イラスト担当)だ。

買い物を終わらせ、ぶらぶら歩き出す。
細い道をひたすら歩いていたら目黒通りにぶつかった。
そこから目黒通り沿いに等々力駅のあたりに出る。だが駅は通り過ぎて環八の方まで行った。

等々力渓谷。
環八通り沿い、住宅街の中にぽつんとある緑溢れる場所だ。
適当にぐるぐる見てまわった。
入ったばかりのところでは環八の車の音がゴウゴウと聞こえてきたが、それもじきに蝉の鳴き声にかき消された。
ヒグラシとアブラゼミ。梅雨明けが遅いとはいえ、すっかり夏だ。

等々力渓谷を抜け、再び環八へ。
少し大きな公園があったので入ってみた。古墳のある公園。
そういえば昔、家人と知り合って間もない頃に一度来た事があるような気がする。
高台にのぼり、公園内のグラウンドでソフトボールの練習をしている子たちを仁王立ちで見下ろしてみる。

そこから適当な住宅街をウロウロしていたら坂を下ってしまった。
二子玉ライズを目印にぐんぐん歩く。
すると二子玉川公園に辿り着いた。ライズと直結している綺麗な公園だ。
この公園の高台から多摩川を見下ろす事が出来る。
たくさんの人が思い思いの時間を過ごしていた。たくさんといってもソーシャルディスタンスは余裕で保たれるレベルだが。
曇り空ながら夕暮れの多摩川。川を眺めて人は何を思うのか。

私は近くのベンチで座って休憩した。
買ったばかりのウォーリーをさがせを開いてみる。
少し探し始めたら止まらなくなってしまった。10分くらいは探し続けてたかもしれない。

雨の気配がしたので、急ぎ足でライズに向かう。
いまやすっかり定番のお散歩スポットになってしまった蔦屋家電に入る。
この時点で18時をまわっていたが、初回から贔屓が複数失点してたので今日はのんびり帰る事にした。
椅子に座り、適当に目についたアニメ監督湯浅さんの本、糸井重里の本、天気の子の美術画集をパラパラと読む。蔦谷家電は照明が暗すぎて読む時少し困る。

結局ヒグチユウコさんのせかいいちのネコを買って帰宅した。

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えがちゃんの関係でバンクシーが話題になっていた。
バンクシーといえば公共物に作品を遺す前衛的な匿名アーティストだ。
私はバンクシーは正直好きではない。絵は上手いとは思うけど。
公共物だって、出来るまでの過程があったはずだ。様々な人が関わってうまれるものだ。
それを自分が気に食わないからと一方的に自分の作品の下地にしてしまう、その感覚が受け入れられない。
そんなの思想の押し付けだ。資本主義が嫌いとか思想を持つのは勝手だが、それをわざわざ公共のものに描きつけて何になる?そんなのがアートなんて勘弁してくれとすら思う。
そしてバンクシー本人より嫌いなのが、バンクシーを崇拝する人間達だ。
そんな人間達に崇拝され、承認欲求を満たすナルシズム。やっぱり嫌いだなぁ。

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結局歩いたりバンクシーの事を考えていたら一日が終わった。
今日もあみぐるみは進まない。お絵描き練習もあまり捗らない。

ま、今日楽しかったからいっか。今を生きてる。肩肘はらずのんびりいこう。


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