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お人好しの戯言

へべれけレベルの酔っぱらいは死ぬほど嫌いだし(昔を色々思い出す)、メンヘラは「病みやばい」とか言ってても関わりたくないから勝手に病んでろと思う。

それでもこういった連中からアプローチされると、少し話を聞いたり付き合ってしまうのが私の悪いところである。
聞き上手だから適当にあしらってても相手をある程度満足させてしまうし、そうすることで増長させ、更に調子に乗らせてしまうのだ。

じゃあとっとと関係を切っちゃえばいいじゃんと言いたいところだ。
向こうからアプローチされても反応しなければいいじゃないかと。

だがどうしようもない連中でも、向こうから構ってくれるのに嬉しくなってしまうのが人の性である。
必要以上に構ってほしくはないし、こちらから働きかける事も滅多にないが、あちらから誘ってくれたりすると悪い気はしない。
なんだかんだ必要とされるのは嬉しくなってしまう。ちょろいもんだ。

もちろんそういう連中にとって、対象は誰でもいいのだろう。
都合のいい人間からたまたま私がピックアップされたに過ぎない。
私は所詮有象無象の一人だ。ただの都合のいい存在だ。分かっている。
こういう連中からの”いい人だね”評価は、ようするに”都合のいい人”という事である。鵜呑みにしたところで馬鹿を見る。


こういう事を分かっていながら振り切れないのが、私の心の弱さなのだろう。
これでも昔に比べたらマシになった方だ。今は気が向いた時しか反応しない事にしている。
振り払えるよう、もっと強くならなければいけないと思う。
これ以上心をガチガチに強くしたらどんどんとっつきにくい存在になるんだろうなとも思う。

客観的に自分を眺めてみた時、きっつい性格になったなと思う。性格が悪いとも。
でもそれは経験によって育まれてしまったものだ。一つ弁明すると、昔はこんなんじゃなかった。
どうしようもない自己嫌悪に陥りそうな時、私が悪いんじゃなくて「こんな私に育てた世界が悪い」と思うようにしている。
こんな狂った世界で狂わずに生きていけるわけがない。人間社会で潰れず生きていくための順応だ。
狂うか潰れるかの二択で狂う方を選択した、それだけだ。


ここで思うのが、そこそこの距離感を保ってくれる友達の存在である。
長年仲良くしている友達、あるいはこれからも仲良くしたい友達は、必要以上に踏み込んできたりしない。こちらも踏み込まない。

見た感じ辛そうな時でも、「どうしたの?話聞くよ?」とズカズカ踏み込むわけではなく、心の中で頑張れと励ますような。
そういう時に軽く飯でも行って、楽しいひとときを過ごして少しでも忘れていられるような関係。

このくらいの距離感、関係性がちょうどいいなと思う。
こういう友人関係は大事にしたい。

人によって距離感のボーダーはかなりの違いがある。とても近い人もいるし、遠い人もいる。
私の場合はボーダーをかなり遠目に設定していると思う。


基本的に程よい友情関係はゆっくり時間をかけて育んでいくものだ。
最初からめちゃくちゃ仲良くなろうと思ったわけではなく、普通に話してる間に共通の話題がたくさんある事を知る。波長も合う。
んで気付いたらめちゃくちゃ仲良くなってた。そんな感じだ。
「出会った頃はこんなに仲良くなるとは思わなかったなぁ」くらいの関係がちょうどいい。

だから最初から「友達になろう!」と距離を詰めてくる相手には注意が必要だし、それで培った関係なんて脆いものだ。一瞬で崩れ去る。
欠陥だらけの建築物みたいに。





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