ショートケーキの苺を狙うことだけが表現ではない[2019・11~]

2000年代当時に描いていたイラストレーション作品を、現在の視点で世に出すプロジェクト「しなもんレトロスペクティブ」を来年以降始めようと思っています。こちらに序文を書きました。(註:近日移転予定)

グラフィックデザインを始めてから約20年間の歩みをまとめました。ダウンロード可。

夏に発売された、保育現場で使えるあそびを紹介する児童書のデザインを担当しました。

前回のK-POP PLAYLIST 2019 SUMMERに続いて、筒美京平が作曲(編曲・プロデュース)した楽曲を、現在から作曲家デビュー当時に向かって遡るプレイリストを作りました。


今回の筒美京平プレイリストをまとめたことで、デザイナーとしての自分の仕事に還元されるものは何もない、と記事中でも書きましたが、筒美京平の膨大な作品に短時間で接してみてひとつ理解できたのは、「表現において必ずしもエッジや頂点・先端を目指す必要はない」という事実でした。

スキルアップなんて不要、と言いたいのでは勿論ありません。例えるなら、ショートケーキの苺を狙うことだけが表現ではない、という意味です。ケーキの土台を目指すことやクリームの質にこだわることも立派な表現だとぼくは思います。「先端」という言葉から直ちに思い浮かぶのは、近年広告の現場を中心に使われることの多い「刺さる」という用語です。「刺さる」表現って、届ける相手にとって痛くない?ってずっと思ってました。

筒美京平が作曲の仕事を通して目指したのは、決して先端を目指す音楽ではなかったはずです。彼がずっと続けてきたのは、先端的な洋楽のエッセンスを日本的風土に置き換えて、ごく普通の人びとに届ける、いわば「中庸」的な仕事でした。その膨大な数と確かなクオリティによって、筒美京平は日本の作曲家として揺るぎないポジションを獲得しました。プレイリストを聴きながら改めてそう実感しています。

裏方を含む「中庸」的な仕事ってなかなか理解されることが少なくて、多くの人が「私を見て!」的なアピールや先端的な表現に走りたくなる気持ちもよくわかります。失われた30年→コンティニューみたいな状況下ではなおさら……。でも、評判って不思議なもので、自分では届いてないように感じられたとしても、周りの人や意外な人々がどこかで見てくれているんですよね。そういうものだと信じてます(信じ続けられる日までは)。


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