『異端の鳥』(2020)感想

「東欧のどこか。ホロコーストを逃れて疎開した少年は、預かり先である一人暮らしの老婆が病死した上に火事で家が消失したことで、身寄りをなくし一人で旅に出ることになってしまう。行く先々で彼を異物とみなす周囲の人間たちの酷い仕打ちに遭いながらも、彼はなんとか生き延びようと必死でもがき続ける―」(公式HPより)

※以下ネタバレありの感想

本作品は映像を観ることに意味があると思うため、事前に大まかに把握しておきたい方は見ても差し支えないと思います。また、作品中では性的描写、暴力描写が続くためその点ご留意ください。


この映画において語るのは顔だ。

人々の顔、顔がポートレートのように語りかけてくる。フィクションに登場するキャラクターではなく、”人間”を映像に収めたかったのがよくわかる。そんな人も、木も空も鳥も等しく、映像の中の白と黒の世界に存在している。映像美と語られることもある作品だが、私はその言葉を使いたくない。

原題は“The Painted Bird”。

少年が出会う人々の中のひとりである鳥飼いが鳥に色を塗って群れに返すと、群れはその鳥を攻撃し、色を塗られた鳥は墜落する、という挿話から来ていると思われる。しかし、色のない世界でその違いはほとんどわからない。この映画の主人公たる少年もそうだ。モノクロの、ほんの少しの濃淡の差だけで異端性が生じていることがここから浮き彫りにされている。少年は家族のもとに帰るまで凄惨な出来事を目撃し、経験するが、それを追う映像の視線はひたすらに静かだ。彼自身も静かな目を持ち、ほとんど語ることをしない。それでも内面から湧き上がってくるものを見ている側が自然に重ねて感じることができる。

見られているのは大人。

妻に日常的に暴力を振るう大人、集団リンチを行う大人を彼は凝っと見つめる。

映画の後半、彼はソ連兵に戦争孤児として拾われる。そんな中、ソ連兵数人が地元の村の住民によって殺される。そのあと兵の一人ミートカと木に登り、村を眺めるシーン。銃を撃つロシア兵ミートカの視線に、手渡された双眼鏡を通して少年の目が重なる。それまで、村の中で迫害を受けてきた彼が、それを外から眺めている。

「目には目を、歯には歯を」

その言葉が分からなくても、視線を重ねるという体験を通して彼は理解している。 

沸々とその身を焦がす怒りを行動として表出しても、彼は静かな目をしている。言葉を発することもなく。少年は彼が見つめてきた人々の行動や感情を写し取ってきただけなのだ。

”鏡”のように。宗教(キリスト教や民間呪術)、イデオロギー(共産主義)などの共”同”体をつなぐものでは、その中に入ることができなかった少年が徐々に写し取ってきたのが"暴力"なのである。

今さら、迎えに来た父親を見つめる少年の静かな瞳には、炎が宿る。「家に帰りたい」と冒頭で叫んだあと、少年はずっと言葉を発することをしない。

帰路につく少年と火を囲むのは戦争で傷ついた人々。バスの中で、父親の眠る顔、そして腕に刻まれた理不尽な数字を見て、彼は自らの名前を取り戻す。(その具体的解釈は異なれど)The Painted Birdとして、つまり共”同”体の外側としてのみ認識され、名前を剥奪されてきた少年が、無言の中で、父親と痛みを共有したのか。大人たちから写し取ってきた"暴力"とはまた別の、暴力を受けてきた"痛みへの共感"がここに見えるような気がする。

暴力には相互性がない。やるかやられるかだけで、そこには名前、言葉を呼び交わす必要性は存在しない。彼が家に帰った後にはどんな人生が待っているのだろう。ただ、少しの希望がこのラストに見えるような気がしてならない。

この映画を見て私が思い出したのは知人の言葉だ。「子どもに差別とか異文化理解とか言ってもわからないから…」と言う言葉。その時は「子どもって本当はいろんなことをわかっているのでは?」としか思えなかったが、今ならはっきりとそれは違うと答えることができる。彼らは私達の写し鏡で、むしろ問われているのは自分の姿なのだと。いつだってそれは変わらない。

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