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幼少期の話⑨ 物書きに憧れて

みなさんどうも、うつろです。

最近顕著に幼少期の話のネタがなくなってきました。キリもいいので今週をもって終了にしようかなと思ってます。来週以降、火木に何を書くかはまだ決めてませんが、今見ているエンタメのこととか語れたらそれでいいのかなとは漠然と思ってます。

さて今回は私が物書きを目指すに至った経緯についてです。小さい頃から小説の案を練っていたというのは前もお話ししたかと思います。

小さい頃から国語が好きでした。作者の気持ちの理解や文構造の解読こそできませんでしたが、漢字に関しては人一倍のこだわりがありましたし音読も好きでした。

小4の時には、担任の先生が黒板に書く漢字の書き順が間違っているたびにそれを指摘していました。授業中なのに、です。周りの生徒からは何も言われませんでしたが、先生は内心どう思っていたのか…今考えると申し訳ないですね。

また音読は、小学生の頃は毎日のようにやっていたと思います。音読をやることが宿題になっているときはもちろん、そうでない時も欠かさず音読をして教科書の文章を丸暗記していたこともありました。のちに助けられる短期記憶力はこの時に培われたのかもしれません。

中学に入ると国語の勉強はただの暗記に成り下がりました。学校指定のワークを解いて、その後何周も同じ問題を確認し続ければいい点が取れるイージーゲーム。一方、単調な作業の連続であの頃の国語にかける思いは消えかかっていました。

そんな中私が惹かれたのが学級日誌。当番になったら自由記述欄に、文字どおり自由に文章を書くことができる。"国語" がしたくてうずうずしていた私にとっては絶好のチャンスでした。

当時私のクラスには「いわゆる」を「所謂」と漢字で書くような、所謂中二病の生徒がいて、彼の個性的な学級日誌には毎回関心を抱くものがありました。何を言っているのかわからないけど、その意味わからなさこそ文学的な芸術性なのかもしれないと思った私は、真似をする形で日々の生活を物悲しげに語る文章を書くようになりました。

評判は…最悪。厨二要素を含むラノベなんかを読んでいる彼と読んでいない私とではその文章力の差は歴然で一目瞭然。周りの生徒には二番煎じとしか思われていませんでしたし、先生のコメントも私を気遣うような当たり障りのないものでした。

こうして私は己の文才のなさを知ったわけです。それでも諦めきれず、今こうやって文章を書いているわけですが。

私の悲惨な過去も紹介できたんで、今回はこれくらいで終わりにしましょうか。
それじゃあ、また今度。

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