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自分ってほんとちっぽけ

いま、わたしは
父親がやっているカレー屋さんで
働いています。
 

働いてるというか
遊びに行ってるっていう感じですかね笑
 

一緒に働いているネパール人たちは
ほとんど日本語が分からないにも
関わらず、特に不都合もなく
楽しくやっています。
  

彼らは、基本
あっけらかんとしているので

わたしが
店で踊っていても

歌を歌っていても

怒ったりしても

サボったりしていても

あんまり、気に留めません。

なので、非常にやりやすいです笑
 

お客さんが集中して
来た時だけ、わたしは店に立つので

暇な時は好きなことしています。
 

なので、基本暇な時間は
こうやって、自分が思ったことなどを
書き留めたりして、気が向いたらシェアしたりしています。

「こんな緩くていいんかなぁ」と思いつつ

必要もない時に
なにかしても全く意味がないので

好きにしてます。
 
 

いつからでしょうか。

「存在しているだけで価値がある」

となんとなく、自分の
潜在意識でも本気で思い始めたのは。
 

「存在」

そのものに価値がある。

逆に

バランスがとれているから

「存在できている」

ということが腑に落ち始めたのは。

そこからというものの

「なにかをしなければ生きられない」

という観念が徐々に薄れ始めています。
 

「存在しているだけでいい」
「なにもしてなくても生きていていい」
 

というのが、なんとなく
無意識で分かっているという感覚です。
 

なので、他人に対して
存在を否定するようなことも
言わなくなってきて
 

あれだけ嫌だった父親も
もう変わらなくていいと
観念したらこのような流れになったんですよね。
 

いまを変えようとしなくても
いまを否定して成長しようとしなくても

「そのままでいいじゃん」

っていう謎の肯定感みたいなのが
芽生えてきたんです。
 

今を変えようとしないと
向こうから勝手に変わっていく。
 

なんかそんな感じ。
 

というか、向こうから来るものを
そのまま受け取るといった感じ。

なので

人間の認識できる範囲で

「いまを変えよう」

とすると、なんか気持ち悪い感じになるんですよね。
  

逆に、もうわたしには
よく分からないので
 

勝手にしてくださいと
宇宙に委ねると、なぜか
望んでいるところに近づいていきます。
 
  

「自我」で考えることはほんとほんと
ちっぽけだなと自分の認識できる範囲の狭さに諦めがついたんですね。

「あぁ、わたしはほんとちっぽけだ」

そう思うことが当たり前になったんですよね。
 

無限の潜在意識にお任せする。
ということは言い換えると
目に見える「他人や世界」にお任せする。
 

そっちのほうが遥かに、賢いと分かっています。
  

自分の分かっていることのちっぽけさに
気づいた人から、世界を信頼し、その世界の流れに流されていくんでしょうね。
 

わたしの認識できる範囲はほんとにほんとにちっぽけです。
 

存在してはいけないことなどほんと
なぁ〜んにもありません。
 
 
勝手に自分で問題視してるだけです^_^

#ちっぽけ #存在 #信頼 #観念 #潜在意識

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