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子どもの受験勉強の前に自分の「受験体験」を終わらせる必要性~コーチングプレイス認定コーチ母と中学受験(小3・2月)

前回の投稿で、小学校3年の娘が中学受験の勉強を始めたので、母親が何を考えてサポートするかを書きました。(中学受験コース開始後6日時点)

facebookのほうにリンクを貼ったら、いろんな方が感想を書いて下さり、大感謝しています。

それと同時に、私自身が30年前の経験を終わらせていないことに気がつきました。未完了、だったんですね。

親が自分の経験を未完了で放置してしまうと、子どものサポートに支障がでるように思います。

「自分はこれで苦労したから」「親がこうだったから嫌だった」

色んな思いが渦巻いたままでは、目の前の子どもを観察する目が曇ってしまいます。そこで、私はこの投稿内で内省とセルフコーチングをたっぷりしていこうと思います。

私語りになってしまうし、30年も前の話なので誰の参考になるわけでもないかも知れません。でも、もしかしたら同じように進学校出身の親(父親も母親も)が我が子の受験を見るときに役に立つ振り返りかも知れないなと思っています。

1.なぜ私が中学受験をしたか

30年前、東京とはいえど私が育ったのは当時の秋川市といって、山梨に近くて緑が豊富な場所でした。

クラスの中で受験する子は、毎年一人いるかいないか。

そんな中で受験を意識したのは、当時近所にあった公立中学がとても荒れていたのを知っていたからです。校内暴力でパトカーが来たとか、近所のお兄さんが登校中にたばこ吸っていたとか、怖い先輩に睨まれたらヤバイという噂が立ったりとか、いろんなことがありました。

また、私の親自身も同級生の保護者とあまり仲良くなれず、地域のコミュニティから浮いてしまっていたという事情もあったようです。

たまたま低学年の頃から学校の勉強には全く不自由がなかったので(体育はひどかったですけど)塾に行くのが普通の流れでした。

小3の冬休みに隣の市にあった塾(栄光ゼミナールにたまたま行きました)の冬期講習を受けました。講習の後で入塾テストを受けるように言われ、それが算数国語ともに満点だったようで、中学受験をするクラスに自動的に入れられました。(面談に行った父は、「受験しないクラスでもいい」と言ったそうですが、受験するクラスに決まっていたそうです。)

2.新小4としての勉強の記憶

さて、2月から新学年が始まるのは今も昔も同じでした。小3の2月から、新4年生としてのカリキュラムが始まりました。算数国語に理科社会が加わって、毎週末にテストもありました。たしか当時は土曜日に学校があったので、日曜日にテストがあった気がします。

この日曜テスト、子どもがテストを受けている間は親たちは毎週保護者会があって、テストが終わると親と合流して一緒に解説授業だったんです。

今思えば、小さい兄弟がいる子もいたはずですが、皆さんよく参加されていたなあ、と感心します。

(今私が毎週出られるかと言われたら、それは負担感が大きい)

けれども、この解説授業に、私の両親が来たことは一度もありませんでした。

親は一度も来ない。でも、テストは常に一番。そんな存在でした。周りの親からしたら、納得のいかない存在だったかも知れませんね。

親が来なかった理由は、父は仕事だったのと、母は病気で車や電車に乗れなかったからです。テストが終わると、祖父が車でお迎えに来てくれていました。そこから30分くらいドライブして帰っていました。

テスト結果はいつもかなりの点を取っていましたが、一度だけ理科が平均点を割ったことがありました。

じゃがいもの成長の単元でした。

その時に母が感情的になり、部屋が寒かったので「寒い」と言ったら「暖かくなるように」と定規で腕を叩かれた記憶があります。

その時に母に思ったことは、「この人、おかしい」でした。

怖いと思ったわけでもなければ、もっといい点を取ろうと思ったわけでもなんでもありませんでした。

子どもって冷静に親を見ているものだったりするのですよね。

3.辛い記憶があるならば

ここまで書いてきて、大事なことに気がつきました。

私の中学受験の記憶は、勉強が大変だったとか塾がきつかったとかそんな記憶ではなくて、親に対する記憶に塗り替えられているということです。

勉強そのものは、もちろん楽ではなかったはずだけれども、毎週決まったことを決まったようにやって、リズムができてしまえばなんてこともなかった気がします。

もちろん、最初は過去問が解けなくて悩むこともありましたが、何年分もチャレンジしているうちにだんだんできるようになっていくものでした。

それよりも、親のメンタルの状態が悪くなるのが一番きつかったんです。

そのため、私自身はなるべく落ち着いて、子どもが気持ちよく過ごせるようにサポートしていきたいなあと思います。言うは易し、とは理解しています。自分の心や体の状態をメンテナンスし続ける努力も必要で、サポートしてくれる他人がいるとより効果が高くなりますね。

もし、自分の受験生時代を振り返って、辛いイメージがあるならば、何に対する辛さなのかが明確になっていたほうが冷静に自分の子と向き合えるように思います。


4.受験の結果を完了させる

中学受験以外でも、どんな受験もそれは通過点になります。

どんなに大きなイベントであっても、人生はその後も山あり谷ありで続いていきます。

私はおかげ様で第一志望の中学に合格して高校卒業までの6年間通うことができました。また、大学は一浪して入っているので、不合格も経験することができました。

第一志望の学校に入ったのに、その学校の中で辛いことが起き、また当時勉強に偏った価値観を持ってしまったことを後悔していたりするのですが、これらがまだ心の中でしこりとなっていて、うまく完了できていません。

私が通った中高は、めちゃくちゃ勉強する子が沢山いるところでした。

だからこそ進学実績もよくて、みんなと肩を並べていればなんとなくうまく行く、という点はありがたかったのですが、卒業してからは「なんて狭い世界だったのだろう」と落胆してしまいました。

でも、それは学校のせいではありません。そして、受験したせいでもありません。

通過点なのだから、これからいかようにも変えていける、そして変えてきたわけです。変えるのにとてつもない苦労はありましたが、苦労してでも変えてこられたのは努力と真面目さや温かさを守ってくれた母校のおかげもあるのでしょう。

どんな結果でどう通過点を通っていても、その後の人生は色んなことがありますよね。私は中学高校時代が辛くて、それは通った学校とは関係のないところに大きな原因があったのですが、それを半分くらい学校や受験の世界のせいにしていた気がしてきました。書き出してみると、意外なことに気づけるかも知れませんので、もしまだ未完了な感覚がある方は紙でもブログでもなんでもいいので書いてみることをお勧めします。

もちろん、コーチに聞いてもらうことも効果的だと思います。


5.感謝に変えよう

結局のところ、私は私立の中学に進むことで東京に出てきて生活も変わり、

つきあう人も変わり、その先に今の自分の人生があるので、

受験は有難い通過点だったと思います。

その後に苦しいことはあったけれど、それはそれまで生きてきた世界とその後の世界のギャップの大きさから来た苦しみかも知れないし、

でもそのおかげで得られたことも沢山ありました。

ただ、第一志望に合格したけれども、それまでの生活には反省点もあったと思います。100点満点の生活から得られた合格ではありませんでした。

そしてその問題点は、10代20代の生活に影響しました。

その反省点を今度は子どもの番でうまく生かせるように、昇華させていく必要があります。

反省点についてはまた今度触れていきたいと思います。



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