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16.じぶんの心の精度

この数ヶ月の休職の意味を考えてしまう、今日この頃
私の休職期間は自分という存在を改めて考えるきっかけになった
そう言えることは間違いない

働けないじぶん
働くか選択しなければいけないじぶん
働かないことでお金や時間を見直すじぶん

働いているときには考えることもなかったし
まわりで休職をするひとがいても
彼らの生活がどんなものかを考えることに
引き継ぎやら調整と課題抽出ばかりで
余裕はなかった

考えすぎは良くないよという呪いの言葉から
考えすぎては攻め、考えないようにする時間を求め続けたような

忙しさで頭のCPUがMAXを達していたのだとおもう

改めて、休んだことで、ちょっとわかったようなことがある

休みの前の呪いの言葉「考えすぎ」

私は捨てらないものが多い

誰かにもらったプレゼント
記念品
旅先で押したスタンプ
古くからつながる人間関係
何かのタイミングでもらった思いやる言葉

その多くには、これからの未来で振り返る必要性がないものも
沢山あるのではないか

持っていること自体に囚われてしまって
新しいものを受け付けないのではないか

でも私にとってそれは過去、とても幸せな証拠であり
抱えておくと心が落ち着くものだったのだ

時間ができてこの休職期間で、自分の精度を上げることができたきっかけは
無我夢中で仕事をする自分から離れたことで生まれた
目先の仕事・評価を引いた自分の人生だ

過去のポストでも触れているとおり
目を背けたいけど見せつけられた
自分の居場所がない状態でも、会社はやめろとは言えない
でも目の前・手元には自分の仕事を投げ出したくない責任感という意地

休めと言ったのは医者だが
カウンセリングに行ったり、心療内科に行ったり
今の自分がどれだけ異常なのかをわかって
「自分で休むことを決めたということ」

これが元社畜の私にとって、会社に刃向かったような
周りを裏切ったような、逃げという形での社会人人生の一時停止ボタンを押す

そんな気持ちで私は休みに入った
「考えすぎ」と言われていた私が
思い切って行動したのが「休み」

「考えすぎ」と責める人は沢山いたけど、
「休み」を否定する人はほとんどいない

そう、人の言葉は全て「感想」だったのだ

他人の「感想」から脱することがじぶんの精度を上げる

私自身も飲みの場で、あーだこーだ他人の失敗や成功に
感想を言い合って盛り上がることがあるため、
他人の感想を言う文化を他人事して捉えることはできない

休職するまで私は、他人からの「感想」を
全て「評価」として捉えてしまっていた

それが自分の精度を下げていたのは間違い無いとおもう
自己肯定感だったり、目の前の楽しさを自分からつまらなくする
思考に囚われていた

感想の方が自分の意欲や希望よりも
優先してしまう癖があったのだとおもう

うつなきもちが起きる前までは、疲れていても
仕事が楽しい!!と常に思っていた
とてつもない仕事の事故が起きても
その時は少し凹むけど、何日かしたらまた違う展開の仕事を楽しむことができた

でもうつな気持ちを感じる頃は
無理くり「楽しむ」感覚が出てきたと思う

休職を言い渡される2週間前には
楽しい時の感覚を思い出そうとするだけで
手汗が出てきて、涙が出た

楽しいはずなのに
楽しく無いはずはないのに

私にとって仕事は楽しかったのだ…

その楽しさを感じなくなったは、間違いなく誰かの感想を
気にするようになってからだった

なんで楽しかったのか?

業務との相性もあるが、
今思えばそれまでは周りの敵に感じるような空間ではなかったからだ

敵視された言葉はハラスメントにちかい罵声
排除された態度は異動や役職の剥奪

みんな人のせいにして、人に言いふらして
私はそれを聞いた味方だった人にも
笑顔で仕事の話ができなくなったのだと思う

休んで、仕事のメールやチャットを遮断し
その感想が耳に入らないようになった

関わりは自分にとって居心地が確保できる人に制限した

それによって得られる情報はグーンと減ったし
給料も無くなったけれど

感想がない世界では自分の気持ちを表現しやすくなった
そして気持ちに害を生む人との関わりがなくなり
盾で囲った心の戦場はようやく平穏を取り戻し
あーもう戦わなくていいんだと言う安堵が胸にあふれることで
そもそも心の余裕は有限で、その余裕を人の感想に費やすることでアップアップしていた当時の状況をようやく理解してきた

判断軸が他人ではなく自分軸になるべきと
信頼する先輩に言われたのはきっとこういうことだったのかなと今ちょっとわかった気がする

心の精度が鈍いと言うのは、感じる気持ちを我慢という盾で阻み、囲い、
自分自身もその本当の辛さを理解しようとしなかったことだ

大勢の前で「嫌い」と言われた時の辛い記憶
直接ではなく「お前は不要」と言われた時のやるせない記憶

その時壊れた心を立て直し、じぶんにとっての
居心地の良い場所を見つけたり
生きがいを改めて探すための
心の精度を上げるのに、私はこの休職で得た時間をあてたいと思う

休んでいる間にフォローしてくれる同僚や家族の理解に感謝しつつ
今後の復活に期待はされているけれど
応えるのはまず自分自身

自分の心の精度を平常に保つこと

本当は罵声やらで辛かったことは全体の数%しかなかった出来事で
当時も幸せだったのである
そして今の幸せをしっかり受け止められる自分になること

休職万歳!数ヶ月たって休職がやっと自分の中で認められたように思う

逃げるは恥だが役に立つ!
心の整理で、また楽しんで仕事ができる心になるのを待ちたい

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