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15.休職で感じた「ひとが休むこと」とは

🐟数ヶ月がたち、少しづつ自分の思考の歪みを
改善したいと思い、書いてます


うつになって考える自分の思考回路

普段から思いつきですぐ決断して生きている

思いつきの結果、よかったか、悪かったか
あとから正解不正解を決めている

この癖はやや厄介かもしれない

おっきな決断は正解不正解より
これからまず失敗しないかを気にしている

私にとって、いまは正解とも不正解とも
言えない状態のなか、
復職がよいのか、そのまま退職をするのか

全く決める軸もぶれてしまい
どうすればこの沼から抜けられるのか
これまた「正解、不正解」を考えては
自信はなく
結局いま休職の延長をしている
そんなところだ

正解か、不正解か

私がなぜ気にするのは、他人軸で生きる癖が
影響している

他人なんか気にしなくていいのに
気が休まらないときがある

うつ認定前の2年間
私は役回りで干された感覚が
心の重しになっていたが、それも他人軸での
自分への印象を考えすぎた結果でもある

(実際、しかたないでしょと周りはいう)

常に誰かの感想が耳に入る

うちの会社では大抵が今の会社よりも
よい条件に転職できることが多い

成長分野であることや、比較的若いうちに
転職して経験を積んでいくことが普通である

その度に残る側の人は
転職者がいないところで、感想を述べる

「彼女、彼にとってよかったか」
「会社にダメージがあるか」

余計なお世話である

自社よりも大きな会社だったり
お得意先だと上司は態度も変わる

そのタイミングで、他人からの
正解不正解の感想がある

私はこの余計なお世話トークがいつも嫌だった

正直やめてもらったほうがよかった
とか
惜しかったけど、あれくらいのレベルならまた採用できるとか

そんな口調で部下の転職に対して皮肉をいってるひとを同僚として働いていて
私もきっと言われるんだろうなとも思うし
大事な仲間の門出、祝いたい気持ちを踏み躙られた気がしたから

去る人に対してぐちぐちいう
本当に嫌な風習だ

ぐちぐちいうひとは色紙にもコメントはしないが
私はこのひとがやめても絶対色紙にはかきたくはないなと思っている


休みが是ではない生き方


転職経験がない私にとって
正解、不正解は未知への不安からくるもの

意味のない他人を気にしすぎた
つっかえ棒であり
いまにもその癖はなくすべきだと思う

ただまだ脳が疲れているのか、
正解、不正解なんか気にしてらんないから
やりたいことやろう

といってもやりたいことがない

ただの「焦り」だけが溢れるほどにある日もあれば
「焦り」にも鈍感になり、まあなんとかなるよなと気楽な休日気分で過ごす日もある


ひとつだけ不安ではあるけど休みはじめてから
自分で頷ける決断がある

まだ疲れてるから休む、それがいまの正解

疲れがいつなくなるか
なくならないものなのかわからないけど
休むことが不正解ではないと思うし
それは病気になろうがなかろうが
休むことはよいことだと思うようになった

へ?そりゃそうでしょと思うかもしれない

でも
フェアではない曖昧な目標を与えて
遅くまで働いたり、仕事を断らなかったり
休日報告しなくても仕事している部下に注目し
それでも要領が悪いと
指示ではなく、頑張ってるけどさぁ、と
批評しかしないマネジメントでも
淡々と出世していく世界にいると
働く人の休みは尊重されないのである

休まなすぎた
休み方をわかっていなかった
休みを否定していた


私はいまやっと休みと向き合う時間を
過ごしているのだと思う

休みは権利か義務かとかそんな議論は
仕事最優先があたりまえ前提だからなされるもの

休みが先
仕事があと

休みが仕事のためにあるのではなくて
休みは生きるためにあり
生きるなかで、身体も心も健康で
職があれば仕事ができる

休まない部下を素晴らしいといってる
上司がいたら
休む前にすぐに離れた方が「正解」

休まず働くことに誇らしかった自分がいま情けない

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