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「本当にやりたいからこそ、やる気が出ない」問題

「本当にやりたいからこそ、やる気が出ない」

人生にはそんなことがある。本当にやりたいことだからこそ失敗が怖い。だからやる気が出なくなる、という構造だ。

そしてこれは「やりたくないから、やる気が出ない」と結果的には同じ「やる気が出ない」感じがする。だから同じことに感じられるのだけど、もちろんそこには天と地ほどの差がある。

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高校生のころ、僕はミュージシャンになりたかった。僕はそのころギターも弾けたし、ピアノも弾けたし、なんなら作曲もできた。だから音楽活動を始めるには十分な技術を持っていた。

ある日の昼休み、いつものように誰も通らない階段でウダウダと過ごしていたら、別のクラスの男の子がやってきた。もう名前は忘れてしまったが、なんとなく猿っぽい男の子だったのでサスケくんと名付けよう。

サスケくんは高校生でありながら、ひとりで路上ミュージシャンをしていた。彼のギターはそんなにうまくなかったけれど、よく通る声を持っていた。そしてやりたいことをすぐにやる軽率さも。

そんなサスケくんは僕がギターを弾けることを知って、こう声をかけてきた。

「うっちゃーん(たしかそう呼ばれた)、うっちゃんってギター弾けるんでしょ?一緒に路上ライブやらない?」

僕はびっくりした。僕とサスケくんはたしかに顔見知りではあるけれど、本当に顔見知りくらいでしかない。だからそんな僕に声をかけてくる彼の軽率さに驚いた。と同時に、嬉しい気持ちもあった。サスケくんがどんな気持ちで僕に声をかけたのかは分からないが、やっぱり声をかけてもらえるのは嬉しいものだ。

しかし、僕はこう答えた。

「うーん、僕は別に興味ないなー」

若者、ああ若者、である。

もちろん、興味がないわけはなかった。むしろ彼の活動は小耳に挟んでいて、興味津々だった。しかし「やる気」を出すことができなかった。本当にやりたいことだからこそ、失敗を恐れていたのだ。

そして僕の高校生活は終わった。

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「本当にやりたいからこそ、やる気が出ない」のか、「やりたくないから、やる気が出ない」のか、その違いを見分けるのは意外と難しい。上の例は今となっては明らかなケースだけど、当時の僕にとっては本当に「やる気が出ない」感じがしたのだ(今はまだその時じゃないとか、自分は彼と合うとは思わないとか、いろいろと理由をつけて)。

だから最近は「もし失敗に対する恐れがなかったとしたら、自分は何をするか?」という問いを自分に投げかけるようにしている。それでやるとしたらそれは本当はやりたいことだし、やらないとしたらやりたくないことだ。(ちなみにこれは「もし失敗しないとしたら」ではない。人間は失敗も含めて人間なのだから、それは現実的な問いではない。)

小さな子供はこんな問いを投げかけるまでもなく、やりたいことはやっているし、やりたくないことはやらない。シンプルに生きている。しかし大人になるにつれてその違いが分からなくなり、シンプルに生きられなくなる。そしてそのことを「それが人生さ」などと語りたくなったりする。

しかし僕はシンプルに生きていきたいと思う。本当にやりたいことをやって、失敗して、傷つくこともあるかもしれない。それでも、やらないで後悔するよりはずっといいと思っている。諦めるのは、チャレンジしてからでいい。

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