毒だって栄養にできるひとでありたい
最近たてつづけに、自分はどういう人と関わりを持つべきなんだろうか。と考えさせられる出来事があったり、話題にのぼることがあった。
例えば、とある会で知り合った妙に圧の強い人があります。実際の実績もすごくて、コンサルタントとしての腕もある、とのことで引き合わせてもらいました。僕もそんなに親しくはないのですが、第三者からいわれて気づくその人の特徴があります。
ものすごく早口
自分の理屈で話をし続ける
人の意見は受け入れない
否定と批判が基本姿勢
ただ、私のくせのようなもんがありまして。とくにこの方とのときのように「この人すごいひとなんですよ」的に紹介されると、ひとまずはその人のすごさを理解しようとして、学ぶモードになってしまいます。
強烈に自分の理屈があるひとって、いわば自分の意見があるというか、信念が強い、ともいえるかもしれませんし。そう思うと耳を傾けちゃうんですよね。
すると、その人とのつながりもできたりするわけですが、結果的には学ぶべきではないであろう人との関わりが深まってしまうこともあるので、よしあしです(笑
さて、だからこういう人は避けたい、ってわけではありません。
世の中、善人ばかりじゃないですし、自分にもあわないなと思う人との付き合いもしょっちゅう発生するわけですから(この状態もぼくが引き寄せてるだけなのかもしれないけど)、こういう人とはどのように付き合うべきか、どのように対応すると少しでも楽にやれるか、そんな手立ては持っておきたいものだなと思ったんです。
またこれは、最近習い始めた合気道にも通じる見方です。
合気道ではどんな技の型も、相手が自分に向かってくる力を利用して技をかけていきます。すると相手は「人に攻撃しようとする自身のチカラ」で、キメられたり投げられたりするのですね。
私も型の稽古の際など、師範に「もっと強くむかってきてごらん」といわれ、思いっきり殴りかかると、すげぇ勢いで床にたたきつけられます。
向かってくる相手にいかに応接するか。
道半ばといいますか、これは永遠につづく課題かもしれん、と思いつつも、そこをひらりと落ち着いて対処したいもの。
袴姿の有段者を眺めていると、伝統のなかにひそむ静かで優雅な、人との呼吸のかわしあいと有形無形のコミュニケーションを感じます。
日本文化ひそむ考え方には、あわせたり、かさねたり、きそったり、そろえたり。 参:『かさねの作法』藤原成一
なんだかふとそんなことばにひそむ姿勢が、とてもしなやかな人付き合いの基礎にも感じたです。伝統にもならいつつ、人を知り、深めていこうかな。
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