すすむ標準化 もとむ人間化

現場で工事をやっててふと思う。
管財、電材、鋼材、・・・いろんなものの詳細が、JISという規格でそろえてくれているから、こんなにスムーズに準備から施工までの段取りが出来るのだな、と。JIS万歳。

と言いますのも、現場をコーディネートしていると、いろんな段取りが必要になります。
作業のお願い、物品の調達、ちょっとした買い物・・・。そんな時、私がこの世の全てに精通しているわけではないので、当然ながらいろんなものに頼ります。
今やグーグル先生が定番になっちゃったけど、例えば専門書はまだまだ知恵袋。入門書やらも助けになりますし、積算や仕様などの各種資料もやはり便利。

そうした手助けをやりとりする背後には、膨大な標準化された知識があります。日本のものづくりならJISですね。ご存じ、日本工業規格。
こうして様々な物の標準化がなされているから、例えばちょっとした作業で1から作り直す必要もなければ、0から説明する場面を省略できるわけです。

極端な話かもだけど、ほんの3mほどの配管で、機器同士をつなぐだけの仕事でも、規格がなければ大変。一から接続部分の形状を考えて、圧力や温度に耐えられる管を計算し、材料をあつめて作るとなると、たったそれだけでも結構な技術と匠の技が必要になります。

そんなこといちいちやんなくたって、規格として「JIS10Kのフランジ」なんて明確ならそれでどんな部材を用意するかがすぐ決まって、作業だってだれだって出来るものになってゆきます。規格とサイズを明確にして、商社さんに電話して部材を調達し、現場では手元道具さえあれば配管が出来てゆくのです。

僕自身は何も作れない、何の匠でもない。
なのに、出来る。

標準化のすごさはここにあるはずです。

さて、そう考えたとき、今のAIやネット技術による置き換えも同じようなことがいえるような気がしたんだけどどうだろう。
確かに、今の技術者が匠の技を発揮するからこそできる素晴らしいものがたくさんあって、それを否定する気はさらさらない。伝統の塗り物、生地、むしろ、職人の技でこそ出来るものづくりや、そこから伝わる言葉にならない価値をとても大切に感じてる。

そうした良さや作り方をこわすのではなく、技術が進んできたから、匠でなくともいろんなコトがより簡単に(効率的に)できるかもしれない、という可能性の話だ。

想像でしかないけど、JISのような規格でいろんな技術が整理されるときにも、それぞれの技術の世界の匠たちは、自分の仕事がなくなることに戦々恐々としていたんじゃないだろうか。
でも、それで匠の技術が不要になるわけじゃなくて、また違うフィールドで匠の技が役に立つ場面がいくらだって出てきたから、今でもいろんな職人技が息づくように思うのです。

そんなとき、ちょうどこんな寿司ロボットの動画がニュースで目についた。

https://wired.jp/2012/04/12/sushibot/

きっと賛否両論飛び交うのだろうけど、それでも匠の寿司屋は残るだろうし、匠じゃない程度に必要な技術や技が、機械に置き換えられている。

ただ昨今は、その置き換えるスピードと範囲が、コンピュータの演算速度の圧倒的なスピードによって、格段に広げられている、という話なのだと思う。

未来を恐れる事なかれ。

きっとこれからも発展してゆく世界では、その世界の様子に応じてふつうの人が活用できる技術の範囲が広がり、もっと人間らしい勝負の世界で匠が求められる、ような気がするんだ。もっともっと「人間くさく」いきることが、いい時代になってくるんだろうな。

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