春田創一という男

 若者のテレビ離れが取りざたされている昨今、私自身もまた、テレビを見なくなって久しい。どうしても見たいドラマがあれば、見逃し配信があるので、定刻前にテレビの前に座ってソワソワとドラマが始まるのを待つ……なんてこと、もう随分とやっていなかった。
 そんな私が、放送日の前日……いや、もっと言えば、前話の放送直後から、次回を待ち望む日がこようとは。全くもって、予想外である。

 土曜23時15分から放送されている「おっさんずラブ」という作品が、今、ネット上でも熱い視線を集めているという。その視線の中には、私のこの目もしっかり入っていることだろう。
 ここ最近、ドラマをワンシーズン見るのが辛くなってきた。年のせいかもしれないが、波乱万丈奇々怪々なドラマを見ると、精神的に疲れるのだ。こう、現実でも色々と辛いことがあるのに、なんでドラマを見るという娯楽の中でも辛い思いをせにゃならんのだ……と思ってしまう節があるのである。
 結果として、1話完結のミステリや推理物を時々追うだけで、ワンシーズン丸々視聴するということは、しなくなってしまった。だがしかし、「おっさんずラブ」は初回から見ている。欠かさず見ている。なんなら、なんで7話しかないんだと憤ってさえいる。

 まず、前提として、私は年末にあったというスペシャルドラマを知らずに今回のドラマを視聴した。内容なども知らず、たまたま、本当にたまたま1話を視聴したのだ。
 そこで、春田創一という人物の虜になった。黒澤部長や牧君が、彼に惹かれる理由がよく分かる。意図があるか否かは別として、彼は本当に、春のような人だ。寒い冬を越え、ようやく訪れた暖かな陽射しのような人だ。

 生活能力は皆無。33歳になっても洗濯すらまともに出来ず、ポテトチップスはボロボロこぼす。挙句母親に出て行かれ、その後、出て行った母親の心配をしている様子はない。典型的なダメ人間。
 仕事の成績も後輩に抜かれ、勤続十年目にしてうだつも上がらない。
 けれど、私は、春田創一という人物が、本当に大好きだ。彼は、人に優劣をつけない人だと思う。レッテルを貼らない人、とでも言おうか。肩書や立場、容姿、エトセトラ。それらによって、人を評価しないのだ。
 現に、事前に合コンで知り合っていたとはいえ、8歳も年下の、本社から来たエリートに対して、劣等感などは一切見せず(無く、と言っていいかもしれない)、笑顔で近付いていく。その人のレッテルなど関係なく、本当に自然に、距離を詰めることが出来るのだ。
 それは、簡単なようで、とても難しいことだと思う。町の人に愛され、小さな子どもでさえ、彼の顔を覚えて挨拶をしてくる。散歩している犬にさえ話し掛ける。まさしく、太陽のような人。
 何も出来ない人ではなく、自分のことに対する能力が低いだけで、対人に対する能力、特にずば抜けてコミュニケーション能力が高い人だと思う。『人たらし』とでも言おうか。正直、モテない理由が分からない。

 最初にも述べた通り、私は、スペシャルドラマを拝見していない。その上で、声を大にして言いたい。春田創一が、田中圭さんで良かった。
 田中さんのことは勿論存じ上げている。何なら、2005年に出演していたドラマ『優しい時間』の金髪姿の頃から知っている。それでも、私は、この春田創一という人物を通して、田中圭さんの演技力と魅力、存在感を知った気がする。いや、これでは失礼かもしれない。失礼かもしれないが、それぐらい、彼の演技が素晴らしい。ドラマもろくに見られないような人間が、偉そうに評価をするなんて烏滸がましいかもしれない。それでも――――彼の演技が、本当に、好きだ。

 色々な場面を引き合いに出して、あーだこーだと語りたい。ただ、そうなると死ぬほど長くなる。友人グループに向けてLINEで語っていたら、通知が400件を超えていたと笑われた。
 なので、私が一番感銘を受けたシーンのみを抜粋させて頂く。多くの牧春ファンが悶絶したであろう、海辺のシーンである。安心して欲しい。私も悶絶した。悶絶せずにはいられなかった。
 幼馴染のちずと共に海辺を歩きながら、思い出話に興じる春田。二人の思い出は、とても可愛らしい、微笑ましいものだった。そんな中で、春田はちずに、牧と付き合っていることを告白するわけだ。
 ちずは、そんな春田に尋ねる。――――「春田も、好きなの?」。鳥肌が立ったのは、ここからほんの数秒間の、春田創一という人物の姿だった。
 少しだけ何かを逡巡するように「俺は……」と言って海を見る。そうして、「……まぁ、うん」と続くわけだ。この時の、田中圭さんの瞬きが、言葉なく春田の心中を現しているように感じた。パチパチと、軽く2回。そして最後に、深く1回。瞬きをして、目を開いた春田の瞳には、確信めいた光がある。あの短い時間の中で、牧との関係を思い出し、様々な感情が揺らめき、けれど、深く瞬きをした瞬間にそれは結論へと収束し。最終的に、春田が出した答えは、肯定だった。
 好きだという自覚。ある意味で、あの瞬間、春田は牧に恋をしたのだ。訂正、恋をしている自分に気付いたのだ。5年のブランクの上、相手は同性。今まで自覚出来なかった恋の歯車が、ようやく回り始めた。
 あの10秒足らずの時間が、鳥肌が立つほどに素晴らしかった。出来ればあのシーンを4Kのビデオカメラで撮影して、すぐに牧君に見せてあげたかった。誰かに知られるのは嫌だと言っていた春田が、職場カミングアウト(良し悪しはこの際置いておくとして)に至るほどに、彼は牧君のことが好きなのだ。牧君の言う「形だけの好き」ではないと、証明したかったのかもしれない。何度も言うが、その行動の良し悪しは置いておいて。

 春田創一という人物を手っ取り早く知るには、Twitterで『そういうとこだぞ春田』と入れて検索してみれば良い。視聴者が思う、『そういうとこだぞ』の目白押しだ。
 春田は、人にレッテルをつけないという話は上記でしたが、彼のデリカシーのなさは、この気質に起因するのではないかと思う。彼は万人に優しい。それが故に、彼の特別になるのは、とても難しい。
 物語が始まった時、春田の中にいた「特別」は、母親と、鉄平兄ちゃんと、ちずだった。部長も憧れという観点で次点ぐらいには入っていたかもしれないが。
 ちずは、春田にとっては特別だ。恋愛感情云々ではなく、人間として。幼い頃から知っていて、二人は5歳も年が離れているので、妹のように可愛がってきたに違いない。
 なので、そんな人生の中にぽっと現れた、牧凌太という存在が、その「特別」の中に入るのは実に難しい。関係性に「恋人」という呼び名がついても、なかなかそれは変わらない。結果が、春田のあのデリカシーのなさに繋がるのだと思う。
 優しいが故に、残酷なのだ。私にもっと語彙があるならば、この関係性をより上手く美しく表現出来るのだろうが……私にはこれが限界である。
 牧君のいじらしさや健気さは実に切ない。見ていて、「春田そういうとこだぞ!」と何度思ったことか。でも、春田は悪くない。彼はまだ、その感情の名前も、向き合い方も、分かっていないだけなのだ。悲しいなら「悲しい」と、辛いなら「辛い」と言わなくちゃ分からないこともある。察して欲しい、気付いてほしいというのは、ある意味で我が儘だ。

 とにもかくにも、声を大にして言いたいのは、春田創一は凄いんだぞ! ということ。同性愛がセクシャルマイノリティである以上、同性からの告白に嫌悪感を抱く人というのは一定数いる。それは仕方がないことだ。
 私自身は全く気にしないし、何なら以前バイセクシャルの恋人がいたこともあるので、正直、何をそんなに否定するのだろうと不思議に思うこともある。それでも、そう言う人は絶対にいるし、彼らの考え方を「間違っている」とも言えない。価値観は人それぞれだ。
 春田は、尊敬している部長から、愛の告白をされた。何なら、日々盗撮され、それを(おそらく)意図的に見せつけられた。裏切られたと考えてもおかしくはないと思う。
 そっちで頭が混乱しているのに、今度は可愛がっていた後輩が突然シャワー中に乱入してきて、壁ドンからの巨根発言、その末に無理矢理唇を奪われた。こちらも、裏切られたと感じて然るべきである。
 春田はノンケであり、ロリで巨乳が大好きな成人男性だ。彼の辞書の中に、同性愛という単語はなかった。あったとしても、それは他の文字に埋もれてしまうような小さな小さな文字で、薄い色で書かれていたに違いない。
 二つの裏切りによって、対人恐怖症にだってなりえたかもしれない。尊敬していた人と、可愛がっていた人に、同時に裏切られたのだから。自分の価値観にないものから一方的に、何の了承もなく感情をぶつけられ、パニックに陥っていたのだから。
 それでも、春田創一は、彼らに真剣に向き合おうとしている。少なくとも、相手が同性だからと頭から否定するのではなく、相手の想いに、彼なりに必死に答えようとしている。誰にでも出来ることじゃない。
 黒澤部長のインスタグラムで、春田が部長に「お断り」を伝えた日の物がアップされている。そこに、「#俺は素敵な人を好きになったんだなと思った」という言葉があった。その通りだと思う。
 人の真剣な想いを笑う人間は沢山いる。人と違うことを忌避する人間も沢山いる。そんな中で、彼は必死に二人に向き合い、彼なりの答えを出した。それは本当に凄いことで、心から尊敬する。こんな素敵な人に、黒澤部長と牧君は恋に落ちたのだなぁと、不覚にも胸が熱くなった。

 6話視聴前にこの記事を書いている。SNS上では、何やらテレビ誌にネタバレが記載されていたとのことで阿鼻叫喚の様相を呈しているが、さてさて、どうなることやら。
 この記事で、私が如何に春田創一という人物が大好きかをお伝え出来ていたら嬉しい。なんなら、全然伝え足りないのだけれど。

 次回がもしあるのなら、次は、牧凌太という人物について、私なりの雑感や考察を書いてみたいと思う。


                       空木

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