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ぶぶ漬けを断るほうがラクなのよ

京都のひとに「ぶぶ漬けでもいかがどす?」と言われて、「わーい、いただきまーす」と言える勇気はない。
読んでいないようでわたしはわりに空気を読んでいる(つもり)。
遠慮するほうがラクなことって多いから、踏ん張っていないとすぐに遠慮するという行動をとってしまう。

天性のものでもない限り、図々しくいることはけっこう難しい。
いや、本来図々しいわけではなく、相手の好意を素直に受け取ることなのに、自分が勝手に図々しいと思っているだけだ。
ぶぶ漬けをすすめてくれたけど、本心は「帰れ」と思ってるんじゃないか、ここで遠慮しなかったら図々しいと思われるんじゃないかと疑ってしまうのだ。

この類の遠慮って、相手のことを思いやっているのではなく、あくまでも自分を守るための行動だと思う。
ちゃんと相手の気遣いを汲んで、申し出をご遠慮申し上げましたわよ、ぜんぜんあつかましくないんだわよ、という体面を保つための。

(ぶぶ漬けのやり取りは今では京都でもないとは思うけど)世の中には、ぶぶ漬け的な礼儀(?)も確かに存在する。
だけど、あまりにかたくなな遠慮は、差し出した好意が宙ぶらりんになったり(ほんとうに不要だったらきちんと言えばいい)、ものごとが進まなかったりする。

好意に対する遠慮だけじゃない。見込まれてなにかを頼まれたとき、そんな技量はないからなどと遠慮するのは、自分が恥をかきたくないからだ。
あんな実力でやるなんて図々しいと言われないための、あるいはやった後の失敗を避けるため。

遠慮しないってことは前に歩み出て自分を差し出すことだと思う。
「んまー、あのひとぶぶ漬け食べて帰りはったわ!」と言われても平気になれる図々しさがほしい。

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