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記録#32

明日退院である。
去年入院したときは何度も退院が延び延びになり、退院するする詐欺になってしまったので、ぎりぎりまで言わないようにしていたんだが、今回は大丈夫だろう。
貧血は相変わらずだけど、先週に比べたらめまいなどもないので、輸血は回避できた。

重症患者用の隔離部屋(差額ベッド代なしの個室)にずっといたんだが、元気になってきて、いつまでもここにいるのも申し訳ないと思ってたところ、入居者がいるから移動してほしいとのことで、最後の2日間は大部屋ですごすことになった。大部屋はいろんなひとがいるから、やっぱり楽しい。
個室は好き勝手できていいんだけど、静かさがちょっと寂しい。そのせいか、普段見ない(というか家にない)TVを小さな音でつけっぱなしにしていた。

自宅には介護ベッドが搬入された。写真で見る限り、見た目も悪くない。

快適そうなベッドだけど、痛みなどがないうちは、なるべく起きていようと思う。
今の状態が続くなら、10日〜2週間くらいでゆで太郎あたりまでは行けるんじゃないかと思うのは、楽観的だろうか。
でも、ちょっとだけ無理をしてみるというのは、がん患者が体力を低下させないために大事なことらしいので、様子を見てトライしてみる。

病気になってから、なにかを見聞きした後の自分の感想が、健康だったときから変化してておもしろいと思っている。
たとえば、ひなびた田舎の風景を見ると、いいところだねと思いつつ、ここで病気になったらどこの病院行くの?   車で行くの?   その日のうちに行けるの?   一人暮らしだと厳しそうだね、などと思ってしまう。
賞味期限が1年以上先になっている食料品や、来年以降の催し物の予告などを見たりするたび、このときまでに自分は生きてるのかなあと思う。
べつに悲観的になっているわけじゃない。もっと生きたかったら、新しい薬での治療を受けるもの。

遠くない将来に自分がおしまいになることはわかっているが、それが具体的にいつなのかはわからない状況(みんなそうだけど)のなかで、なんでこんなに冷静なのか自分でもわからない。
死んじゃうのは寂しいとは思う。積極的に死にたいわけでもない。ただ、もうこの体で生きるのはしんどいかなと思う故の選択である。

がん患者の多くは、画像検査を受けるだけで、怖い怖いと騒いでいるけど、そんなの結果が出る前に勝手に想像したってしょうがないし、出た結果は受け入れるしかないじゃんと思う。初めて診断されたときだって、ちゃんと受け入れられたはずでしょ。
あ、なんかディスってるみたいになっちゃった。ごめんなさい。

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