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記録#19

前回の続き。

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年明けに画像診断して結果が出た。
診断結果はみんな(お医者さんとかわたしとか)の予想どおりで、再び局所再発していた。
化学療法を3回やって2023年8月に撮った画像では不明瞭になったとされた腫瘍が再び出てきたということらしくて、ずいぶん早いなお前!
まあ、なにもなかったら去年の腸の破裂一歩手前からのストーマ造設はなんだったんだてことになるから、ちゃんと腫瘍があってくれないと困るっちゃ困る。

再発があれば「これ以上悪くならないための」薬物療法が候補に挙げられるということは、去年の段階から医師に言われていた。だけど、その時点でもうそれはやらないでおこうかなと思っていた。

とは言え、とは言えですよ、自分の命が延びる可能性があるところでわざわざ命をデフォルトのままにしておくような行為を選択するというのはなかなかに難しいのですよ。とくに達観してるわけでもない俗人オブ俗人の自分には!
先生も「この薬(わりと新しく承認された薬)は効くときは腫瘍が消えちゃうくらい効いて、中国の富裕層がいくらかかってもいいからってこの薬打ちにくるんですよー」とか「とりあえず3回くらいやってみたらー」などとぐいぐい推してくるのよね。それで決心がぐらぐらと揺れてしまって、2回返事を保留にさせてもらった。

だけど冷静になって考えてみれば、べつに長生きしたいわけじゃないじゃないですか自分。
ましてや使おうとしている薬は、データ的には延命は1年もないくらい(ある程度効けば現状維持的にずっと治療し続けることも可能だそうだが)だから、ほんの少しの延命のために治療するのは意に反する。
当たれば腫瘍が消えることがあるって言うけど、当たるか当たらないかの賭けに出るのもまさにギャンブルだよなーと思いつつ。

自分の体がまだ体力があって、癌さえなければ元気になれるというのなら、良くなる方に賭けて治療を受けますよ、そりゃ。
だけど、今の体力は80歳レベルだし(抗がん剤の影響とも癌そのものの影響とも言われている)、ストーマも付いてるし、長生きしたところで試練が多いのが目に見えている。
もちろんそういった試練や障害と付き合って生きていくことも可能だし、そういうひともいるし、そうすべきという考えもあると思う。

だけどさ、この体でそこまでして生きる意味が見つからないのよ、わたしには。
べつにこれまで死にたいとずっと思って生きてきたわけではないし、老後のことも一応考えつつ生きてきたし。だけど、長生きできない選択肢があるならそっちを選びたい。
これができるって結構ラッキーなことなんでは? と思う。
日本では安楽死が認められていないし、自殺は倫理的にちょっとねーって感じでしょ(てか単に怖い)。だから自分の死期を自分で決めることは基本的にはできない。
なのに、ある程度自分で決められるんだから。

主治医は絶対に余命宣告しない(今どき安易にそれをする医者もどうかと思うが)し、目安すらもお茶を濁して教えてくれないから、わたしも自分がいつ死ぬのかは、80歳でないことは確かであること以外はわからない。
だけど、もうちょっと生きますか? それとも流れに任せてちょっと短めにしますか? という選択肢が天から降ってきたこと、さらにそれを自分で選ぶことができるということはなかなかできるもんじゃないし、与えられてもできないひとが多いんじゃないかな。医師の勧めるままなんも考えずに治療するひとが多いから。

どの選択肢を選ぶかの決断は怖いよ、やっぱり。決断するのが怖くて決断できないというアホみたいな状態になる。自分で自分に引導を渡すというのはなかなか難しい。
だけど、自分の目指す人生はどんなものなのかと考えたときに、なるべくいい状態で生きること(いい状態の期間を短くしないこと)だった。
だったらどうするかは明白じゃん! となって、治療は受けない旨を先生に伝えてきた。

誤解なきようにもう1回言っておけば、薬の副作用が怖いから治療を受けないのではなく、今の自分の体をなるべく現状のまま維持したい、また治療によってなんらかの支障を体にきたしたくない、そして今の体では治療を受けることでそれらが実現しにくいというのが今回の決断の大きな理由です。わかりにくい文章ですね(あえて直しません)。
だから癌を治療する薬のことを無闇に怖がらないでほしい。
ちなみに提案してもらった薬は、今まで受けた抗がん剤に比べれば副作用も少ないとのことでした。

今後は定期的に受診して必要に応じて痛み止めの薬なども使っていくとのこと。
治療しないとほかの病院行ってくださいとか言われるのかと思ってたけど、よかったー。

続く

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