沖縄旅行中に東京で就職試験を受けた話

12月4日 ANA991 6:15羽田⇒9:10那覇 ホテル泊
12月5日 終日フリー           ホテル泊
≪急遽決まった予定≫
12月6日 JAL1900 08:25那覇⇒10:35羽田
       (東京で「急用」を済ませ)
      JAL1935 19:40羽田⇒22:30那覇 ホテル泊  
12月7日 ANA128 15:00那覇⇒17:10羽田

 私のmixi日記には、このような記録が残っている。mixi日記全盛期の頃だから、軽く10年以上昔の話だ。その頃勤めていた会社は、ブラック寄りのグレー企業だった。額面月収は27万円ほどで、一応生活はできる水準ではあったが、入社前の面接でボーナスの存在を匂わせておいて実際には一切支給されなかったり、細かい理由は書かないが入社時に15人以上いた同期が3年間で14人退職したり、何よりも、労働者の権利である有給休暇を取得させてくれなかった。それでも、当時の上司に「有給休暇を取得させてくれ、さもなくば訴えるぞ」という主旨の発言を数年に渡ってアナウンスし続けた結果、入社3年目にして2日間だけ有給休暇を取得できることになった。ブラック寄りのグレー企業なので、前後に通常の休日を入れて、結果的には7連休も取得することができた。夢の7連休。一見、「ホワイト企業なのでは?」と錯覚してしまうが、通常の休日をずらしただけなので、その分、13連勤ぐらいは普通にしていたのは内緒である。
 夢の7連休で何をしたか。最初の3日間は、ずっと本を読んでいた。後ほど説明するが、「面接必勝本」の類の本である。残りの4日間は、3拍4日の沖縄旅行を予約していた。沖縄に旅行することが夢だったからだ。
 ブラック寄りのグレー企業に勤めて3年目。会社の経営が傾いてきたという雰囲気を感じ、私は同僚に悟られることなく、転職活動をしていた。通常勤務を続けながら、東京に本社のある某社の一次試験、二次試験を受験した。二次試験に合格すれば最終面接に進むことができ、面接に合格すれば入社が決まるという流れである。
 入社後初めての有給休暇を利用して沖縄3泊旅行をするためにパック旅行(宿泊と航空券がセットになった旅行商品)の予約をした数日後、悲劇は起こった。就職試験の二次試験に合格し、最終面接の日程が沖縄旅行の3日目に指定されてしまったのだ。
 二次試験の合格率は総受験者の20%ほどだった。最終合格者は5%ほどと聞いていたので、ここまで来たら何となく合格するような気がしていた。今さら「旅行に行くので面接は辞退します」とは言いたくない。しかしこの機会を逃したら永遠に沖縄には行けないかもしれない。私の心は決まった。「沖縄旅行を中断して東京に試験を受けに行こう」と。
 有給休暇を含めて7日間取得した休日の最初の3日間は、面接対策をした。転職用の面接対策本を何冊も読み漁り、家で一人で練習をした。付け焼刃ながら、ある程度まともな受け答えの出来る状態にはなったと思う。そして旅行初日。私は羽田を6時15分に離陸する飛行機に搭乗するため、スーツケースを自家用車に入れて空港に向かった。スーツケースの中には、面接用のスーツとYシャツ、そしてネクタイ、そして、折り目とシワでボロボロになった面接対策本。生まれて初めて訪れた沖縄での宿泊先は、うるま市だった。那覇空港からはかなり離れた場所であり、安かったからである。ちなみに旅行代金は、3泊分のホテル代(3朝食+1夕食+サーターアンダギーのお土産付き)とレンタカー代、往復の航空券込みで35000円ほどだった。パック旅行は素晴らしい。

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 初日は、那覇市からうるま市に移動する際にレンタカーが故障しただけで終了した。ヒュンダイ、その名前を私は一生忘れない。
 2日目は浜比嘉島というところへ行った。12月なので海に入ることはなかったが、海を眺めるだけで癒された。唯一、沖縄旅行らしい一日だった。
 3日目。早朝4時台に起きてスーツに着替え、レンタカーで那覇空港に向かった。予定通り8時25分の飛行機に搭乗し、東京で面接を受け、深夜に沖縄に戻った。とにかく本番中は必死だったが、面接対策本で学んだノウハウはあまり役には立たず、かなり脱線した受け答えをしてしまったと思う。「なぜ弊社を受験しましたか?」に対して「今の会社の給料では預金ができません。お金が欲しいからです」と答えたり。何か一つぐらい気の利いた返答をしたような気がするが、ほとんど記憶にない。よほど緊張していたのだろう。
 東京での面接の帰り、空港に到着する前に休んだ公園で、猫を見た。「何だかよく分からないけど、お前頑張ってるな」と言われているようで、その猫には勝手に励まされた。

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 沖縄旅行の4日目は、那覇市の渋滞の印象しか残っていない。レンタカーを予定時刻に返却しなければと、ただただ焦っていた。とにもかくにも、バカンスとは名ばかりの気ぜわしいだけの4日間だったが、ひとまず無事に人生初の沖縄旅行は終了した。東京での面接も含めて。帰郷した翌日からは、ブラック寄りのグレー企業での日常が戻ってきた。
 年の瀬も押し迫った12月28日。合格通知が届いた。「何か一つぐらい気の利いた返答をしたような気が」したのは間違いではなかった。恐らく。私は約20倍の競争率に打ち克ったのだ。うるま市、ヒュンダイ、浜比嘉島、そして猫の画像が走馬灯のように頭に浮かんだ。
 沖縄旅行中に東京に戻って受験した会社で、私は今働いている。気がつくと勤続年数は10年を優に超え、少しだけ昇進もした。3泊4日の沖縄旅行代はおよそ35000円だったが、東京日帰り往復の航空券代はそれ以上で、約5万円かかった。手間がかかっても、費用がよけいにかかったとしても、私はあの時どうしても沖縄旅行に行きたかったのだ。だから行ったのだ、今となっては後悔していない。
 もしも今、転職に迷っている人がいたら、「参考にはならないかもしれないけれど、このようなスケジュールで転職をした人間がここにいるよ。多少めちゃくちゃなことをしても、人生何とかなるものだよ」という経験を話すことはできる。フフッと笑ってもらえればそれで充分だし、できればフフッと笑ってほしいと、心から思う。
【注1】当時のmixi日記の画像を掲載したので、添付した画質は悪いです。
【注2】社会通念的に許されると思われる範囲内でフェイクを加えました。