文豪の書いた本を読んでみた1

noteに投稿するのは初めてなので初めまして。

私は、普段はゲーム内で騎空士をやっていたりソロモン王をやっていたりなど、もうゲームばっかりやっているような、ただのしがないオタクである。そして時々絵や漫画も描く。

そんな私も、こんなご時世で停滞しまくる世が続く中で、自分の中にそろそろ新しいものを取り込まんと自分自身も停滞し脳が死ぬのでは?とふと思い立ってなんとなく見始めたアニメが「文豪とアルケミスト」だった。

アニメ(原作はゲーム)の設定としては、転生した文豪たちが、物語が改変されかけている小説内の世界へ入り込み、そこの物語を正しい結末へ導くというもの。

始めは本当になんとなくで見ていたのだが、2話の「桜の木の満開の下 前編」で、アニメで描かれる小説の世界観にもうめちゃくちゃに惹かれてしまった。幻想的でかつ恐ろしく思われる桜、美しいがどこか妖しげな女、人間の首を求める男……。2話は前編で終わったため、物語の全貌はわからなかった。それもあって2話を見たとき、私は思った。

原作の小説が読みたい、と。

アニメ2話の題材となった坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」は、著作権が切れている関係上、HP「青空文庫」で小説を検索して読むことができる。(これは他の方に教えていただいて初めて知りました。ありがたい……)

3話の後編の前に読んどこ!!って思って3話を見る前に読んだ。以下感想なので「桜の~」を読みたいって思ってる方々は読んでから感想見てね。








まず最初の一文を読んだ時、思わず「天才か……?」ってなった、これは読んだ方皆が感じたことだと思うが。あの茶目っ気というか親しみやすさのある一文目で続きを読みたくならないって方いらっしゃるんだろうか(反語)。

しかし、読み進めていくとどんどん不気味でかつ美しい情景に引き込まれていく。書き出しとの差もこの物語に引き込まれる所以なんだろうか……。


この物語を最後まで読み終わったとき、この物語における桜というのは「孤独の概念」だと私は感じた。

山賊の男が始めに桜を恐れたのは孤独を知らなかったから、または孤独ではなかったから、孤独を恐れていたから。桜が恐ろしいと思わなくなったのは孤独を知ったから。孤独となったから。孤独となり孤独を恐れる必要がなくなったから。

孤独という感覚を、桜を見たときの感覚と結びつけるという、ものすごく秀逸でかつ美しい概念の定義付けだと思った。

この物語、孤独の中にあるほんのりした暖かさがあってかなり好ましいのだが、それは私が「孤独」というテーマが好きというのもあるかもしれない。私が好きになるゲームやアニメのキャラにも「孤独」を抱えたキャラが多いので。

兎にも角にも、坂口安吾の書いたこの小説は私としてはかなり好みの小説だったので、彼の書いた他の作品も少しずつ読めていければと思う。

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