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最下位から描いた夢 ~オリックス優勝と修士論文~

オリックスの優勝

 今年、プロ野球のパリーグではオリックス・バファローズが優勝した。チームの前身であるオリックス・ブルーウェーブスの優勝から25年、近鉄バファローズの優勝から20年が経過していた。オリックスは低迷が続き昨年、一昨年は2年連続最下位だった。今年の開幕前の順位予想でも下位に位置づけられることが多く、ほとんどの人が優勝するとは思っていなかった。6月ごろからリーグで首位に位置するようになり、9月~10月はロッテとの史上まれにみる僅差の優勝争いを演じる。そして、10月27日に見事リーグ優勝を勝ち取った。9月~10月にかけて私は特別な思いを抱いてオリックスの優勝争いを見ていた。

勝負の秋
 というのも私は9月以降修士論文の執筆が佳境に入っていたからである。個人的な事情を話しておくと私は昨年が修士の2年目だったが研究が思うように進展せず執筆できなかった。幸い指導教員や友人、先輩に恵まれ支えられて精神的に追い詰められたわけではなかったが、いざ論文の締め切りが近づくと少し不安に思った。今年絶対に出さなければと焦る気持ちもあったし執筆は重荷であった。論文の本格的な執筆が始まった9月以降オリックスもまた正念場を迎えていた。9月5日にチームの中心である吉田正尚が離脱。10月に復帰するも、直後の試合でデッドボールを受け再び離脱。前半戦大活躍した宮城大弥選手は疲労により勝ち星が伸びなくなる。2位ロッテは打撃が好調で一時は首位も奪われた。オリックスが窮地に追い込まれれば追い込まれるほど私は彼らに親近感を抱くようになっていた。前年残念なシーズンを送り今年は巻き返し優勝争いを送るも苦境にたたされていたオリックスである。前年研究がうまくいかず、今年も正念場を迎えていた私は勝手に自己をチームに投影していたように思う。オリックスの試合は毎日執筆をする私の励みになっていた。その甲斐もあって私の修論は苦労しながらも少しづつ軌道に乗り完成に近づいて行った。そして、修論の提出まで約1か月に迫った10月27日にオリックスはリーグ優勝を決めた。これは私もうれしく、自分の論文もこのような幸せな結末を迎えてほしいと内心期待した。

夢からさめて
 オリックスはクライマックスシリーズも劇的な勝利を重ね日本シリーズに進出する。ただ、日本シリーズではオリックスと同じく前年度最下位のヤクルトと対戦し、2勝4敗でオリックスは日本一を逃した。オリックスの夢はここで敗れてしまった。オリックスの日本シリーズが終わった日、私も修論提出の約1週間前になっていた。締め切りの直前になるほど自分の論文の厳しい現実を目にするようになっていた。議論に問題は多く、構成はまとまっておらず、1週間後に完成するのか怪しいと思った。オリックスが与える希望とともに執筆を進める段階は終わり、過酷な現実を直視しながら原稿を書くという毎日であった。結局私は修士論文は無事に提出はできた。出来栄えは、オリックスとは違い前年度最下位のチームが5位かよくて4位になったようなものだったと思う。
 一連の出来事を受けて、私は夢について考えた。アスリートやアイドルは私たちに夢を与えてくれる。彼女たちの姿を見ると私たちは前向きになれるし、努力を続ける原動力を得られる。私たちが日々向き合う現実の問題の厳しさや苦しさをやわらげ、それらに立ち向かう活力を与えてくれる。ここで忘れてはいけないのは、音楽やスポーツは希望や活力を与えてくれるものに過ぎず、我々が日々直面する現実を変えてはくれない、という点である。ある種の問題に対しては私たちは自分自身で格闘し、自分で答えを出さないといけないと思う。そしてその時に必要なのは、自分の夢を描くことだと思う。自分の将来の願望や、現実のこうなってほしいという理想がなければ、絶望的な日々の現実に圧倒され続けてしまうだけではないだろうか。さらに今ここにはない何かを思い描くことで、今ここにある問題に対してどのように対峙し、どうしたいかがわかるのではないだろうか。
 オリックスは前年何位で終わろうが、優勝という夢は描けると教えてくれたのだ。だから私もどんな状況にあっても自分の夢を描き続けたいと思う。どんな状況にあっても。オリックスが与えた夢から覚めた私に残されたのはこのような教訓である。

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