うとQ世話し 3.11の事 終編 弊社「苔、下草的地味経営」新globalismのご提案

2021/3/11-2
(うとQ世話し 3.11の事 終編 弊社「苔、下草的地味経営」新globalismのご提案)
InternationalとGlobal
我が国では一般的な傾向として、殆ど同義語に捉えられているか、又はその差が判然としない場合が多い様です。
かく言う自分も外国人従業員を雇用して仕事をする迄は殆ど気にも留めていませんでした。せいぜい
「外国とのお付き合いに関する事」
位の曖昧なものでした。
それで特に困った事もありませんでしたし。
ところがここ3年の内に、その違いが朧気ながら分ってきた気がします。
自分なりに申し上げますと前者internationalは
文字通り「国と国の間で」であり、まず前提として「国家」という枠組みが最初にあります。
一方後者globalは「地球レベルの」という意味で、別の言い方をすれば「国を超えて」又は「国を意識せずに」となり、むしろborderless「国境が無い」という方が適切な気がします。
之を更に分かり易く言えば、文化人身交流に於いては「国家、民族の差」を意識しないとなり、交易、ビジネスにおいては「国家や民族に縛られず、企業単位で独自に動く」と言う事になります。
前者はとても良い事だと思います。
ところが後者は色々と問題を起こしてしまいました。
一番目が、何処に行っても同じ物ばかりになって、その国その地域その民族固有のものがどんどん消えてしまいました。
例えばどの国に行っても「スマホ片手にうろちょろする風景ばかり」とか。
二番目には、商品や物資の水平分業やら物資の供給網が複雑に絡み合い、今コロナ渦の様な事態がちょっと起こるだけで、大混乱を来してしまうリスク負担の拡大でしょう。
その反動として、自国自社の垂直統合による保護主義が台頭し、そればかりではなく、良かった筈の前者、即ち「国家や民族毎の囲い込みナショナリズム」や自由闊達であるべき企業の悪しき独立、即ち「独占」に傾きかけて居るように見えます。
自分が思うにglobalというのは、何も人間界のそう言ったいざこざに巻き込むレベルの矮小なスケールのものではなく、むしろglobe(地球)の上に暮らす、人間もその一員に過ぎない動植物界、自然界、環境界レベルで今一度「globalism」の再定義をする必要があるのではないだろうかと思い始めております。
そう思うきっかけとなったのは「ネパールカリー屋」という飲食業を始めたからです。
そこで分ったのは「国や民族、文化風習、階位」の違いよりも「その人、個人、個人がまともであるのか、そうではないのか」の着眼の方が遙かに有効な視点である事。
今一つは「食べ物」という具体的な「ブツ」の方が「国家はじめ貨幣制度」等の「信用価値(概念)」より、遙かに手応えを感じるパワーが内在しているのだと言う事でした。
ですので、最後になって幾分飛躍してしまいますが、今後弊社は我が国全体の復興に際し「バイオテクノロジー」や「農業」に目を向けてみたいと思っております。
動植物や自然界、環境界とうまく付き合っていく為に、そうした方向「も」模索したいと思い始めました。

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