うとQ世話し 逆転
2021/1/11
(うとQ世話し 逆転)
人間は感情の生き物です。
そうして、ものは何でも「考えようで取りよう」でもあります。
同じものが考え方、取り方で、全く正反対の感情を引き起こすことが多々あるようです。
例えば、今コロナ渦での「外出自粛」
自粛と言いつつ「禁止、抑制、中止」と全てマイナスのイメージです。
或いは経済に関しては成長「鈍化」や温暖化に関して排出ガス「規制、抑制」と全てマイナス表記。
これだと「本来100円もらえるところを70円で我慢しなさい」とか
「100の能力があるのは分っているけれど、7割方で抑えておきなさいね」
といわれたような不平、不満、不完全燃焼の感情を抱いてしまいます。
しかし同じ「抑制」でも、マイナスのイメージではなく、それをする事にプラスの、或いは前向きの意味を感じられたら、我々は「喜々として」それをするようになる事もありそうです。
その例をいくつか挙げてみると
我が国では「苦労を避ける」又は「失敗を恥じる」傾向がありますが、逆に外国では「苦労や失敗を経験しないとgreatにはなれなれないから、成る丈多く苦労や失敗の経験を重ねよう」という前向きな捉え方をしていますし、
アジアのある小国では、我が国に介護要員として就労しに来るのを「その仕事で人助けをする事で、来世への徳を積む」とこれまた前向きな評価をしています。
これらは前者冒頭の部分が「抑制」であるのに対して、同じものが後者では、積む事(累積)による「到達」や「達成」と全く逆転している事に気づかされます。
この考え方、捉え方に倣えば
外出「自粛」や「禁止」は「生存、存続率up」「今後の生活や事業のあり方の見直しのgood chance」とも捉えられますし、
温暖化「抑制」や経済発展の「減速」や「制御」による「7割経済」も
地球環境への「適正化」や無駄や過剰の整理整頓による「適者生存率upの適合経済」
即ち「GDP(国内総生産)を追い求めることを「成長、発展」と名付けた背丈の成長ばかりに目をやる「我が子のみ可愛がる未成熟な大人の経済」ではなく、
経世済民(世を経(おさめ)民を済(すくう)という定義下での経済である「存続の為の経済」
換言すれば「成長と発展」ではなく「発展」に換えて「発達と適応進化」に置き換えた中身の成熟度が求められる「大人同士の隣人経済」の確立ともなり得ます。
と、このようなご提案させていただきますのも、我々が経験してきたように、不満や愚痴や怨恨は何も生み出さずに。破壊と暴力しか残しませんが、逆にその中に内在する「怒りのenergy」を浄化(前向きに捉え直し)する事で「多大な推進energy」にもする事ができる様な気がしております。
少なくとも「良い事が何一つなく、御難続きの連続だった自分の過去の行程を、曲がりなりにも生き残ってこられた」経験則からは、その様に思えます。
簡単に言うと
「全てを逆転発想」し、pinchをchanceと捉え直す見方を「考え出す」しかなかったのだろうと、思っております。