うとQ世話し「出る釘は打たれる」はヤメ「出た芽は育てろ」に変えよ

2020/10/31
(うとQ世話し「出る釘は打たれる」はヤメ「出た芽は育てろ」に変えよ)
今コロナ禍、ニューノーマル探索にあたって
「上下、高低、尊卑」の位置を大逆転するくらいのことをしないと、答えは見つからないような気がしてきました。
今日のお話は、そこまで大げさではないのですが。
わが国民は「対等かそれより上」に置かれることを当然と思うか、又は慣れていて、対等か下に置かれると、それを「恥」又は「不当」だと感じることが多いようです。
これを少し逆転の目線で見てみると
「たまには下の位置に立って見ると、つまり自分より上の存在を肯定すると、却って自分が諭されたり磨かれたりするチャンスを手にすることが出来る可能性がある」
となります。
これは「上を成功、栄華」「下を失敗又は苦難」と置き換えることもできそうです。
処が我々我が国の国民は、時として「今まで下に見ていた者が、いつの間にか自分を抜いて上に行きそう」なほどに成長し始めてくると、途端に「恥探知・敏感レーダー」が作動し、それらを叩き潰しにかかるようです。
これが我が国における新規起業の少なさだったり、優秀な人材程会社を辞める理由だったりしているのかもしれません。
そうなるのも「既存が新興から刺激を得る」とか「古参が若手からヒントを得る」といった素直に相手の長所や優れた点を上に置き、その点に関しては自らを教えを乞うものとして下に置いて見習う、自らを磨くという姿勢がないからでしょうか。
そんな折、蹴落とす方も、外に出ず内に残ってただひたすら蹴落とされまいとする者も、総じて説得に使ったり、説得されてしまったりする言葉が
「出る釘は打たれる」
でしょう。
しかし、これではいつまでたっても芽が出ません。また体内代謝機能や活性化も得ることが出来ません。
こういった場合には「出る釘は打たれる」の代わりにコロナ禍以降は
「出た芽は育てろ」
に諺を変えた方がいいような気がしております。

よろしければサポートをお願い申し上げます。戴いたサポートは自分が書く上での活動費として使わせていただきます。