(うとQ世話し 「ニューノーマル」の「ニュー」外し理由、まとめ)

2021/9/10
(うとQ世話し 「ニューノーマル」の「ニュー」外し理由、まとめ)
●是まで探索してきた「ニューノーマル」については
「改めてのニューなどない。
ただ変化こそノーマル(常態)だと弁えて、常なる変化に備えるだけだ」
と言うことでしかないらしい。
それは当初設けた問いへの答えの様な気もします。

当初設けた問いを以下に記します。
●「2年目に突入したコロナ渦での「ニューノーマル(新常態)」を探索する前に、大切なことがひとつ。
それは、自分にとっての「常態(ノーマル)」をどう認識しているか?です。
安心で安全。常に平時で「意のままになる」のが常態と思っている人と、
いつ何が起こるか分からない。常に不確実が常時で「意のままになること等ほとんどない」と思っている人。
その差は今回のコロナ禍、風水害、異常気象、経済の大減速に際して如実に表れました。
前者は「こんなはずじゃない。何とかしてよ」
後者は「また来たか。今回のはかなりデカいが、また超えるしかないな」
今回の件に関して「ニューノーマル」とメディアが騒ぐのは、どうも前者に立脚してのような気がします。
しかし、我々が認識を改めないといけないのは、後者へのシフトそのもの。
そうして、それを超えてサバイバルするためにはどうすればいいのか?や、大袈裟ですが、これから、どのような「世界観」や「価値観」を持つのが理にかなっているか?という認識の切り替えや深堀ではないでしょうか?それをここではマスコミやメディアの言う前者とは違った立ち位置で探り、サバイバルにつながる道を見つけたいと思っております(敢えて大風呂敷を広げさせて戴きます)」

そして今月より「ニューノーマル探索サバイバル日記」の表紙絵柄を変えた理由を付加しておきます。
●2年目の「ニューノーマル探索サバイバル日記」の表紙を今月から変えました。
「ひょっとして勘違いもいいとこの我々はそっぽをむかれているのではないか?
地球から
未来から
ここまで繋いできてくださった先祖から」
と言う暗喩(メタファ)として「何故かこちらに背を向けている今年のひまわり畑」の絵柄に変えております。

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