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書直し(オマケの英語教室+うとQ世話し broadcast)

2021/8/23
書直し(オマケの英語教室+うとQ世話し broadcast)
Broadcastは「放送」という意味です。
BBCといえばBritish Broad Casting(英国放送(協会)の略です
「もうちょっとブロードでいいんじゃない?」
時々こんな会話を耳にしますが「ブロード」の部分の意味は「おおまか、縛りをキツくしない」等でしょうか。
一方キャストやキャスティングの方は「配役」
キャスターで有れば「司会役」です。
他にはDai was castで「賽(サイコロ)は投げられた」とか。
共通しているイメージは「或ポイントに投げ込む」つまりキャストやキャスティング、キャスターであれば「適役」という感じで、Dai was castであれば「時至りて投げられし」と言った具合です。
そうなるとBroad Cast(Casting)というのは元々矛盾する概念の結びつきと言うことになりそうです。
「おおまかにピンポイントで的確に投げ込むもの」
なんか妙な日本語でしょう?
我が国国民は自分が使う場合は別として人がこの様な相矛盾した玉虫色の物言いをした場合、それを極度に嫌い責め立てます
推察するにその性向は、我が国国民感情の再基底部に存する「隅々に至るまで精緻に一貫した様式美への希求」に依るところのような気がします。
お役所の書式。教育の方法論。会社組織の縦割りの一貫性。そして放送での各局キャスト、キャスティング、キャスターのスタイルの異質性排除、将に様式化。
それは思うにお上が求めているというよりも、お上は我々国民全体が無意識に強いている「そのニーズ」を体現化しているだけのような気もします。
恐らく我々は何かを思考するに当たってまず様式化しない事には思考を始められない様な気がします。
そうしてその次は様式美の追求。
様式美のレベル追求。
果てはそれが最高になっていないと、全ては無意味と見做され消去又は排除されてしまう。
確かに様式無しで考えるのは大変難しいのでそれはそれであってもいいのですが、せめて最高峰以外は認めないとか意味がないと切捨てずに認めてあげてもいいのではないかなぁと思うのです。
そして次には様式としては未完或いは様式の体を為していなかったとしても、それが人々に感動、感銘、納得を与えるものであるならば
「その手も有るな」
位のおおらかさ、緩やかさ、いい意味での大まかさがあってもいいのではないかとも思うのです。
むしろ意識的にそうでもしない限り今の我が国の「細部に至るまで矛盾なく精緻な一貫性の様式美呪縛」で身動きがとれなくなっている「息苦しくなる様な逼塞、逼閉状況」からは抜け出せないのではないでしょうか。
Broadcastというのは何も「放送」という意味だけではなく、
「世の中何が役に立つか分からないので無駄を覚悟で敢えて広範囲に投網すること。
又は初めから敷居を高くして切り捨てるのではなく、初めのハードルは低くしてなるたけ多くを受け入れ最後は広範な中から出る、よりよい結果を待つこと」
我が国現代版用にそういう意味があってもいい様な気も致しております。

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