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京大博士2年の上村太郎さんに百合文化研究の"リアル"を聞いてみた【インタビュー企画 #7】

取材・構成: 銀糸鳥(@DeeperthanLies

 西の名門・京都大学。この地に“百合の研究者”がいると聞き、百万遍を訪ねたのは4月27日のこと。

 上村太郎。京都大学の博士2回生である彼の研究テーマのひとつは「現代のメディアにおける「百合」ジャンルの発展と受容」だ。

 百合に関する論考といえば2014年刊行の『ユリイカ 2014年12月号 特集=百合文化の現在』(青土社)が有名だが、それ以降の成果はあまり知られていない。

 2024年現在、上村氏は百合文化研究の"現在"を知り、最前線を走り続ける研究者の一人である。

 なぜ彼は、百合文化の研究を続けるのか――。オタク遍歴から現在の研究内容、これからの展望に至るまで、百合文化研究の"リアル"に迫る。

上村 太郎

京都大学大学院(教育学研究科教育社会学研究室)の博士2回生。「女学校文化の戦前から戦後への接続と断絶」「戦後日本社会における「女性同性愛」および「女性の友情」言説」「現代のメディアにおける「百合」ジャンルの発展と受容」などを研究テーマに掲げる。最新論文「「百合」ジャンルの成立過程の検討――同人活動の創作者の実践に基づくジャンルの概念分析――」は『ソシオロゴス』48号(2024年10月に刊行予定)に掲載予定。


研究者を目指したきっかけ

―― まずは、研究を始めるまでの経緯を教えてください。

教育学部は3回生の時からゼミに所属して、卒論に向けて発表をするんですね。自分は概論の授業を受けて関心を持った「教育社会学」のゼミに所属したんですが、最初のゼミ発表で何を発表すればよいか全くわからなくて。そのときに、漫画は当時から好きだったので、漫画の研究で何か発表できないかと、いろいろ調べていたんです。そしたら、BLの研究はたくさんあるけど、百合の研究はあまり無いと気づいたんですね。

溝口彰子『BL進化論』(太田出版)
BL研究の専門書は多数刊行されている

百合の研究が少ないなら「ここやったらええんちゃうか」と思って、ゼミの発表では長池一美さんの先行研究をレビューしました。そしたら、先生たちの受けがよくて。

―― おお。

ゼミの指導教員は『女学校と女学生』(中央公論新社)の稲垣恭子先生。戦前の女学校の研究をしていた人の前に、百合の研究をしようとしている学生が現れたら、そりゃ褒められますよね。

―― それが成功体験になられたわけですね。

ちやほやされてしまいましたね(笑) 当時、修士課程の先輩からも勧誘を受けていて、そのまま院進(大学院に進学すること)を決めました。あとから聞いたところによると、その先輩は誰でも彼でも院進を勧めていたらしいのですが……。


百合との出会いはどこから?

―― そもそも上村さんは、どこから百合に入られたのでしょうか?

最初に百合作品に触れたのは、中学生のころに読んだ同人誌だったと思います。

―― 当時からコミケには通われていたのでしょうか?

いや全然、そんなことはなくて。当時、インターネットサーフィンでイラストや漫画を漁っているときに、ちょっといかがわしいページに飛んでしまって。その時に見つけたのが「春待氷柱」というサークルを主宰されている名宵先生の18禁百合漫画で、それがとんでもなく面白くて、「百合」に興味を持ち始めました。ちょっと褒められる出会い方ではなかったので、贖罪の意味も込めて名宵先生の作品は紙と電子ですべて買わせていただいています。

―― そこで初めて百合文化に触れたわけですね。

そうですね。その後、最初に購入したのが『ハッピーシュガーライフ』(SQUARE ENIX)だったと思います。当時は「ガンガンJOKER」の漫画が好きで、『妖狐×僕SS』や『賭ケグルイ』も読んでいたので、その流れで読んでいました。

鍵空とみやき『ハッピーシュガーライフ(1)』(SQUARE ENIX)
2018年にはテレビアニメ化された

―― その頃からジャンル自体は認識していたのでしょうか?

多分、「百合」というジャンルを体系的に認識し始めたのは、「京大漫トロピー」(京都大学公認の漫画評論サークル)に入ってからです。2017年くらいなので、歴としては今の学部1回生とそんなに変わらないはずです。『コミック百合姫』(一迅社)を読んだのも「漫トロ」でした。

―― ということは、学部1-2回生のときは百合オタクというより漫画オタクだったんですね。

そうですね。実際、ゼミ発表のときも3つアイデアがあって、ひとつはきらら系、もうひとつが成人向けエロ漫画、最後が百合とBLでした。今になってみると、きらら系だと百合以上に関連する研究がなく、成人向けエロ漫画だとジェンダー論でポルノグラフィ研究が膨大に存在するので、百合研究が自分にとってはちょうどいいサイズ感でしたね。結果的に百合で正解だったなという感じです。


マイナー文化研究者の生存戦略

―― 上村さんは「京都大学百合文化研究会」に所属されていますよね。

そうですね。2021年、僕が修士1回生のころに創設したサークルです。

文化祭「11月祭」に出展(京都大学百合文化研究会のXより)

―― サークルでの活動は、普段の研究活動とリンクしているのでしょうか?

まあ、ちょっとしてますね。卒業論文では研究のための時間も技量もなくて、次善の策で少女漫画のことを取り上げたのですが、修士からは百合のことをやろうかなと思って。

卒業論文のテーマは少女漫画(上村さんのXより)

ちょうど「京大漫トロピー」でも百合支部を作りたいという話が出ていたり、後輩が「ゼロ年代研究会」というサークルを立ち上げたりしていて。サークルとして機能しなくても、僕がブログで研究のことをつぶやけばいいか、くらいの気持ちで始めたのがあのサークルでした。

―― 上村さんとしては、やはり研究者としてやっていきたい感じですか。

まあ、やっていきたいですけど、もしできなかったら就活するかもしれないです(笑)。

東園子『宝塚・やおい、愛の読み替え』(新曜社)
上村さんが何度も読み返した“憧れの研究書”

以前、別の雑誌に論文を出したときには「社会学的な意義が見出されない」と言われて落とされたことがありました。研究対象がニッチなものだとこういうことは言われやすいので、今後、自分の研究の学問分野上の位置づけや、研究を説明する理論的枠組み、自分の研究がもたらす学術的貢献をさらに明確化していかないといけないですね。文化社会学やカルチュラルスタディーズだけじゃなく、メディア研究やジェンダー研究としても打ち出していきたいです。


『マリア様がみてる』から始まる地殻変動

 今年10月刊行予定の『ソシオロゴス』48号に掲載予定の論文「「百合」ジャンルの成立過程の検討――同人活動の創作者の実践に基づくジャンルの概念分析――」。上村さんは、1990年代から2000年代前半に活動していた同人作家への取材などを通して、日本の同人文化における「百合」ジャンルの成立過程を分析している。

―― 今回の論文で、漫画やアニメなどの同人文化で「百合」がジャンルとして定着したのは、2000年代前半のことだとされています。

それ以前はまだ、女性同士の親密な関係をどのジャンルで描いたらいいのか決まっていませんでした。たとえばコミケの一次創作の場合、現在ではほとんどの参加者がジャンルコードを「創作(少女)」で登録していますが、1990年代には「創作(少年)」や「創作(JUNE/BL)」で登録する人もいたそうです。

―― 興味深いですね。BL島で女性同士の関係が描かれていたんですか。

そうですね。JUNEは男性同士の愛を一次創作するジャンルで、同性の愛を一次創作するジャンルだから、ということで、そちらの方で描いていた人も何人かいたそうです。

―― その後、2002年ごろから「百合」が概念として認知されていくことになります。当時は、今野緒雪先生の『マリア様がみてる』(集英社)の流行期でした。

今回の論文には書けなかったんですけど、おそらく『マリみて』の影響力は大きいと思います。ただ、「百合」ジャンルが認知されたのが先なのか、『マリみて』が人気を博したのが先なのかはよくわかりません。

今野緒雪『マリア様がみてる(1)』(集英社)
約20年以上にわたり読み継がれる百合ジャンルの金字塔的作品

2002年に『マリみて』のオンリーイベントが企画されているんですけど、当時のブログを読むと、運営側の想定以上に男性のファンたちが集結したことがわかります。

―― 『マリみて』を経て「百合」が認知度を広げたということは、あからさまな言い方をすれば、男性の百合オタクが増えたということになるのでしょうか?

それはあると思います。もちろん昔から、女の子同士のカップリングが好きな男性はいたらしいんですけど、引け目を感じていたらしくて。即売会で同人誌を買う時に「男性なのに買っちゃってすみません」と謝ってくる人もいたそうです。

―― 当時の「百合」は今よりも女性向けのジャンルとして認識されていたわけですね。

そうですね。ただその後、『マリみて』がギャルゲーをやっていた人たちにも流行って、男性向けの方でもそれをパロディーしていいという流れができていきます。『マリみて』が流行した結果として、男性のオタクを含めて女の子同士の関係性を読むということが、認識の枠組みとしてできたのではないかと思います。


百合姫"以外"の変化の方が大きい?

―― 男性の百合オタクが増えたという話がありましたが、同時期の2003年6月に創刊された「百合姉妹」(マガジン・マガジン)は、明らかに女性向けの漫画雑誌として創刊されています。これはどう捉えればよいのでしょうか。

あくまで「男性も入ってきた」という話であって、まだまだ「女性向けのジャンル」という認知が支配的だった、というのが理由の一つになると思います。それからもう一つ、これは「コミック百合姫」の中村成太郎編集長が「SFマガジン 2019年2月号」のインタビューで証言しているのですが、「百合姉妹」は発行元のマガジン・マガジン社から一度断られた企画だそうなんです。

「百合姉妹 VOL.1」(マガジン・マガジン)
「コミック百合姫」の前身となった

当時、中村編集長は2001年放映の『ノワール』というテレビアニメを土台としてコンセプトを出したのですが、それは“上の人”に弾かれたそうです。そのあとに『マリみて』が出てきて、「このビジュアルならいけるだろう」と感じてもう一度提案したら、そちらは採用された。古くからある“女学校もの”というイメージに乗せることで実現したのが、創刊当時の「百合姉妹」という雑誌なんです。

―― 『マリみて』の原作が少女小説である以上、それを参照した「百合姉妹」が女性向けの企画になるのは自然な流れだったわけですね。

そうですね。いわばそれは、吉屋信子的なものなんですけど。

「コミック百合姫 2024年7月号」(一迅社)
“女学校もの”を思わせる表紙イラスト

―― ところで上村さんは、百合の研究活動の一環として「コミック百合姫」を読まれているわけですよね。

2003年から2010年に刊行されたものは全て読んでいますね。

―― その間、掲載方針に変化のようなものは読み取れるのでしょうか?

どうなんでしょうね。あまり感じませんでしたが、2007年に姉妹誌「百合姫S」が創刊された時や、それが本誌に合体した時には何かを変えようとしているかもしれません。そういう意味だと、たとえば「電撃G'sマガジン」(KADOKAWA)のような、百合姫"以外"の雑誌の方が変化は大きい気がします。

電撃G’sマガジンのHP
『ラブライブ!』の初出はこの雑誌

僕の見ている範囲だと、「コミック百合姫」は基本的に、作家さんが描きたい百合を描いている感じだと思うんです。一方で「電撃G'sマガジン」は、男性オタク向けの「美少女」コンテンツの情報誌なんですが、それまで「百合」という概念が無かったところから、2003年に「百合」を前面に打ち出した『ストロベリーパニック』という企画が始まり、読者が「百合」というものを共有し始めて、それが他の企画や読者投稿欄までに波及していく、という流れがみられました。修士論文を書くときに過去10年分ほどを読んだのですが、男性向け雑誌である「電撃G'sマガジン」の方が変化としては大きい印象がありました。


吉屋信子は“百合の起源”なのか

―― 先ほど名前が出た吉屋信子は、百合文化の起源を語るときによく言及される作家の一人だと思います。上村さんは、吉屋信子と百合ジャンルの影響関係についてどう考えていますか。

もちろん影響が無いわけではありませんが、必ずしも直接的に起源であるといえるものではないと思います。たとえば、今野緒雪先生は「ユリイカ」のインタビューで『マリみて』誕生のきっかけについて語っているのですが、当時、今野先生は吉屋信子を知らなかったらしいんですよ。

今野 よく吉屋信子の影響について訊かれますが、読んだのは書き始めたあと。あまりに聞かれるので、読んでみようかなと思って読みました。昔の女学生の「S」(Sisterhood)についても、同じく書き始めてから知りました。本当に疎かったです。

『ユリイカ 2014年12月号 特集=百合文化の現在』40頁より 

吉屋信子の作品自体というより、吉屋信子的なイメージがなんとなく文化的に共有されていて、それが『マリア様がみてる』という形でリバイバルされたというのが実際のところだと思います。

―― となると、吉屋信子から『マリみて』の間に何があったのか気になります。

たとえば1980年代に氷室冴子の『クララ白書』(集英社)という少女小説があるんですけど、あの中で吉屋信子の『花物語』が参照されているんです。主人公は吉屋信子が大好きで、あこがれを持っているけど、周りの先輩や同級生からは「アナクロもはなはだしいわよ、吉屋信子のお姉さま小説なんて」と言われていたりする。

氷室冴子『クララ白書(1)』(集英社)
札幌の女子高寄宿舎が舞台

吉屋信子と氷室冴子の間には直接の参照関係があるけど、今野先生との間にはない。けど、今野先生は女の子同士の関係性に対して「お姉さま」と言えてしまう。吉屋信子や『花物語』がベタな少女文化として受け入れられなくなってからも、そういうものをある種パロディーする形で「お姉さま」が表現される作品があったりとか、その時代を生きた人が懐古的に語ったりして、そういうイメージが社会の中で共有されていく時期が70年代から80年代くらいだと思うんですよ。

―― 上村さんの今後の研究テーマとしては、そのあたりの流れを洗い出していく感じになるのでしょうか。

そうですね。一応、学部の卒業論文では60年代のことをやっているので、次は70-80年代のことを調べつつ、修士論文で取り上げた2000年代以降のことにも手を出していこうかなと。いまちょうど、戦前の「エス」的イメージが70-80年代にどのように引き継がれたのかを、「お姉さま」言説を手掛かりに分析していて、5月の関西社会学会で発表する予定です。

―― すごく面白そうですね。たとえば、既存の研究ではどのようなことが論じられているのでしょうか?

そのあたりの蓄積は少ないという印象ですね。だいたいの研究は百合を論じるときに歴史の話を枕にするんですけど、まず吉屋信子に象徴されるエスの世界があり、そのあとに70-80年代の少女漫画・少女小説があり、2000年代に『マリア様がみてる』が出てきて……という感じで、テンプレート化されていることが多いんです。

―― なるほど。

あくまで話の枕だから、検証されていないし、たぶんその人たちも検証していないので、そこに対して突っかかっていくのもどうかというポイントではあるんですけど……。でも、それを論じることで、さっき言ったような戦前の少女文化が、なぜ現代までイメージとして共有されているのか、なぜ今野先生は『花物語』を知らないのに「お姉さま」と言えてしまったのか、みたいな話ができるんじゃないかなと思っています。


"百合の歴史"を語ることの難しさ

―― 上村さんは、先行研究にどのような課題があると思いますか。

これまでの"百合の歴史"に関する記述にはおそらく、恣意的な選定があると思うんですよ。たとえば、先行研究では1970年代の矢代まさこの『シークレットラブ』がよく論じられるのですが、1983年のロマンポルノ映画『セーラー服百合族』のことはほとんど論じない。同時期に出ていたアダルトビデオ『くりいむレモン Part.2 エスカレーション〜今夜はハードコア〜』もほとんど触れられません。

矢代まさこ『シークレット・ラブ』(朝日ソノラマ)
発表年は1970年と古い

過去のものに対して今の地点から「こういう区分ができるんです」と囲うことって、当時は存在しなかったカテゴリーを事後的に当てはめることになるじゃないですか。それは評論としてはいいのかもしれないけど、研究となると問題があるよなと思っているので。

―― なるほど。とはいえ、歴史を語る以上、個別の作品を選定することは避けられないのでは?

そこは難しい問題ですよね。今回の論文では、社会学者の石田佐恵子が2000年発表の論文「メディア文化研究におけるジェンダー」で述べている、「既に存在している(かに見える)ジャンルを前提とし、それを自明のものと扱ってなされるメディアの研究は、ジャンルの持つイデオロギー性から自由にはなれない」という一文を引用しました。

ここからは少し専門的な話になりますが……。石田の議論によれば、特定ジャンルの普遍的定義や本来的性質を同定することは不可能です。にもかかわらず我々は、ジャンルが実体として「ある」ように経験し、ジャンルに位置付けながら作品を描き、読んでいる。なので文化研究は、ジャンルそれ自体ではなく、ジャンルがいかなる力によって成立しているのかをこそ見るべきだ、と。

―― ふむふむ。

ジャンルの歴史をいかに語るかに関して、映画研究者のRick Altmanは1987年発表の『The American Film Musical』というミュージカル論の中で示唆的な指摘をしています。Altmanはミュージカルの歴史に関する典型的な語りについて3点の問題があると指摘しています。

その一つが、既にある固有名詞を恣意的に使いすぎているという問題。ミュージカルは、もともと様々なジャンルにおける音楽的(musical)な映画があり、それが集積してミュージカル(The Musical)という一つのジャンルに成ったそうです。しかし、「ミュージカル」というカテゴリー概念を用いてミュージカルの歴史を分析しようとすると、そのカテゴリー概念自体がいかに生成したのかは、問うことができない。

―― なるほど。先ほどの「当時は存在しなかったカテゴリーを事後的に当てはめる」というお話に似ていますね。

そして二つ目が、ジャンルの内部だけを見すぎているという問題。ジャンルは分類である以上、それと、それ以外のものとの違いによって成立している。なので、本当にミュージカルを論じたいのだったら、ミュージカル内部だけでなく、他のジャンルとの関係も見ないといけない。

―― 確かに、百合だけを見ていても百合は理解できないのかもしれません。

それから三つ目は、歴史を描くことと年代記を描くことは同一ではないという問題。作品を列挙するだけでは、事実を断続的に記しているにすぎない。ジャンルの歴史を描くことは、ジャンルを連続的に変化するものとして捉え、またその変化の要因を説明することでなければならない、といいます。

―― まさに今回の論文と重なるようなお話ですね。

先行研究はどうしても作品を見がちなので、ジャンルを成り立たせる存在としての作り手とかファンの話はもっとされるといいなと思っています。逆に言えば、そこはまだやれるところが残っているので、僕がやりたいなという感じですね。


あなたにとって百合とは?

―― 本日は貴重なお話ありがとうございました。最後は恒例の質問で締めたいと思います。

はい。

―― あなたにとって、百合とは?

うーん、難しいですね。なんだろうな……。ひとことで言えば「よくわからないもの」でしょうか。

―― その心は?

自分を形作っているなという本の1つに、社会学者の佐藤郁哉の『フィールドワーク 書を持って街に出よう』(新曜社)があって。佐藤は「フィールドワーカ―は…『よそ者』であることを稼業とする人であり、『プロの異人』であり、カルチャー・ショックの達人(プロ)なのです」と述べています。つまり、自文化を飛び出して異文化に入り、そこでの「居心地の悪さ」を感じることで、異文化を知るとともに、その経験を「鏡」として自文化を知るのだと。この視点って、自分が百合を好きだからこそ、百合を研究する上で大事にしないといけないと思うんですよね。

―― あくまで「百合を外側から見たときの感覚」を持ち続けるということですね。

実際、百合というジャンルでなされていることって、よく考えると不思議なことが結構あると思うんですよ。他の人たちからあまり理解されないというか。たとえば、玄鉄絢先生の『少女セクト』(コアマガジン)は、「百合」作品とされながらも、掲載されたのは男性向けエロ漫画雑誌で、でも百合のオタクたちはそこからポルノ性を抜いて、さも当然のように「尊い」ものとして見ていたりする。

玄鉄絢『少女セクト』(コアマガジン)
"良家の子女が集う籠目女子学校"が舞台

―― 改めてそう言われると、不思議な気がしてきました。

でも我々は、そうした「わからなさ」を持つ対象を、自明に「わかって」しまう。だからこそ自分は、その「わからなさ」を手放さないようにしないといけない……という感じでしょうか。

―― なるほど。研究者ならではのお答えですね。

実際、20年前くらい前までは女性同士の親密な関係がこんなに描いたり読んだりされるメディア状況はありませんでした。なのに今、それはある。それが一体どういうふうに生まれたんだろうとか、どういう作り手の戦略があるんだろうとか、どういうファンの実践があるんだろうとか、それを世の中の人にわかるように、その人たちが何をしているのかを実直に記述していくだけでも、面白さがあるんじゃないかと思っています。

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