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バブル期の日本からフィリピンへ。高校時代の日々が今につながる

「私を変えたあの時、あの場所」

~ Vol.50 フィリピン

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は岡田 泰平先生に、高校時代、フィリピンにて暮らされたときのお話を伺いました。取り上げた場所については こちら から。


高校時代、フィリピンへ。日本の外へ出られることが嬉しかった

――初めに、フィリピンに行かれた経緯について教えていただけますか。

岡田先生: 親の都合で、高校1年の途中にフィリピンのマニラに行くことになりました。あの時にフィリピンに行ったのが自分の人生で一番良い出来事だったと思います。自分の研究対象を見つけることができましたので。


――フィリピンに渡られたのは1980年代後半とのことですが、その頃に行かれたことについてはいかがでしたか。

岡田先生: バブル絶頂期の日本から、フィリピンに行ったことは色んな意味で衝撃でした。今では様々な点が二つの社会で共有されていますが、あの頃の私のいた日本の環境はとても裕福でしたが規則もやたらに多くて、10代半ばの私には息苦しい社会でした。落ちこぼれていたので、生きづらさを感じていました。日本の高校に合っておらず、日本から離れられることをとても嬉しく思いました。


偏見、蔑視を克服することこそ人間的

――息苦しい環境から別の環境へ行けることの嬉しさがあったのですね。実際に行かれて、印象的だったことを教えてください。

岡田先生: フィリピンに着くと、人々の貧困や貧困の悲惨さにはショックを受けました。さらには同地の日本人駐在員社会の閉鎖性には辟易しましたし、フィリピン社会を過剰に危険視することには違和も感じました。また、インターナショナル・スクールに通ったのですが、フィリピン社会から隔離されたような空間で、英語も話せなかったので、学校文化にもなじむことができませんでした。率直に言って、周りの日本人や外国人にはフィリピン人を蔑視している人が多く、そういう環境もあって、私もフィリピン人をどこかで馬鹿にしていたと思います。裕福なよそ者にとって、その土地の貧乏な人々を対等に見ることは難しいことだと思いますが、そのような偏見や蔑視を克服することこそが人間的だと思います。その頃、一番身近なフィリピン人といえば、メイドさんとドライバーさんでしたが、彼女達はとてもやさしかったです。ただ、しばらくいると、マルコス独裁期にアメリカに亡命をし、その後自殺してしまった人を父に持つフィリピン人や、フィリピン人とアメリカ人のダブルの人と仲良くなりましたし、ビルマ人やインドネシア人の友人もできました。今思い出すと、楽しかった思い出が多いです。


その人たちの言語を学ぶことが理解の一歩へ

――今、率直な当時のお話をお聞きし、こちらとしても考えさせられるところがたくさんありました。さらに印象的だったことについてもお伺いできますか?

岡田先生: 母親と過ごす時間が多かったのですが、なぜフィリピンは貧富の格差が大きいのかについて時々話しました。妹はとても活動的で、障がい児の施設のボランティアなどをしていましたが、私はというと、どちらかというとうつ傾向で、悩むことが多かったです。一つ後悔していることは、今でこそタガログ語をそれなりに話せるようになりましたが、あの当時にも、言語も含め、もっとフィリピン社会に関心を持つべきだったと思います。他者を理解する上で、その人たちの言語を学ぶことはとても大切です。高校時代にできなかったことを、残りの人生でやっている感じです。

19世紀末のフィリピン革命を表している像。1911年に建てられたもので、フィリピン大学ディリマン校にあるもの。


自分の問題を見つめ直すことで、他者の問題も語ることができる

――高校時代にフィリピンへ行かれたことについて、改めて今振り返るとどんなことを思われますか。

岡田先生: フィリピンに行ったのは本当に偶然で、たぶん大学生になってから自発的に行ったなら、相当に違った考えになったと思います。とかくフィリピンに関心を持つ人は、フィリピン社会にある問題を解決しようとする人が多いですが、そう簡単に問題なんて解決できません。この頃思うのは、問題を語るのであれば、まずは自分の問題を見つめ直し、そこに関連付ける形でしか、他者の問題は語れないという点です。ですので、問題解決しようとしない学術、歴史や文学に惹かれます。


――フィリピンだけに限らない、本質的なお話をしていただいたかと思います。
また、岡田先生はフィリピン以外にも海外で様々過ごされていますよね。海外体験全体を通して、良かったことなど教えてください。

岡田先生: 初めにフィリピンに行って、それからアメリカで比較的長い時間を過ごし、その後はフィリピンとアメリカと日本を行ったり来たりする生活になりました。三つの場所をそれなりに知ることができたのが良かったと思います。二つだと良し悪しで判断しがちですが、三つだとなかなかそうなりません。また、あまり空気を読まないことも、たぶんフィリピンやアメリカでの経験があるのだと思います。典型的な日本の組織やとにかく厳密性を重視する学界にいると、空気を読みすぎる人が多いなあ、と思うことが多いです。逆に、空気を読まずに色んなことを場違いに言う人がいると、仲間を見つけたような気分になり嬉しくなります。駒場には、そういう人がそれなりにいるので、居心地が良いです。


「自分ほど恵まれていない人」への関心も大切に

――最後に、留学をしたいと考えている学生へ、メッセージをお願いします。

岡田先生: どこに行っても違和を感じることは多いと思います。そういう違和感を大事にしてください。また、たまたまそれなりに裕福な環境に生まれた人が多いと思いますが、自分ほどに恵まれていない人に関心を持つことがとても重要です。これらの点から、第三世界への留学をお勧めします。

――ありがとうございました! 

岡田 泰平先生の書籍が2023年8月に刊行されました。

書籍タイトル:The Japanese Community in Cebu, 1900-1945
著者・編著者:Jose Eleazar R. Bersales, Taihei Okada
刊行年月日:2023年8月

詳しくは こちら をご参照ください。


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