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インドネシアの華人コミュニティへと飛び込んで。一人ひとりに向き合い描く民族誌

「私を変えたあの時、あの場所」

~ Vol.53 インドネシア共和国・中部ジャワ州

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は津田 浩司先生に、インドネシアで現地調査をされた体験についてお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。


インドネシアの華人社会に関心。実際のコミュニティへと飛び込んだ

——今回は2002年から2年間、インドネシアに渡られていた当時のことをお伺いできればと思います。まず渡航のきっかけから教えてください。

津田先生: 1998年5月、インドネシアでは30年以上続いたスハルト政権が崩壊しました。その混乱のさなかに、各地で華人(中華系住民)を標的にした暴動・略奪が発生しました。ちょうど卒業論文のテーマを決めあぐねていた私は、そのニュースを見て、インドネシアにおける華人社会に関する研究にのめり込むようになりました。

多数の民族集団から成る新興国家インドネシアでは、様々な歴史的経緯から、華人たちの存在は「国民統合上の問題」とされてきました。ただ、スハルト政権下ではその「華人問題」を大っぴらに語ることは、国家の安寧と秩序を損なうとして禁じられていました。98年以降この規制は次第に緩和され、2001年に博士課程に進学していた私は、実際に華人コミュニティのなかに飛び込んで、彼らの生活の場から、「華人である」こととはどのようなことなのかを理解しようと、2年間の予定で実地調査のためにジャワ島に渡航しました。


現地到着から数日後、まさかの出頭命令

——社会的な動きから華人社会の研究を始められ、調査のため現地に行かれたのですね。実際行かれて、印象的だった体験についてお聞きできますか。

津田先生: 渡航後半年を、大学街でインドネシア語の習得と調査地の下調べに費やした私は、その後、中部ジャワ州北海岸のルンバンという町で本格調査をすることにしました。ルンバンは非常に小さな港町なのですが、目抜き通り沿いに古い華人街があり、そこに400世帯ほどが暮らしていました。私は大学街の知り合いから、事前に「遠い親戚」の住所が書かれたメモを渡されていたのですが、それ1枚だけを頼りに訪れたこの町で、幸いにもすぐにとある華人家庭のお宅に下宿させてもらえることになりました。

ところが数日後、私と大家さんのもとに警察からの出頭命令が届きました。外国人を宿泊させる場合、その家主は24時間以内に警察に報告しなければならない、という法令があったのです。この手続きを怠ったことから、相当額の罰金を払わなければ私は国外退去、大家さんは禁固3年(後で確認したところ、実際の条文上は禁固1年以下)だと告げられました。この法令は当時すでに有名無実化しており、最終的に2013年には撤廃されたのですが、しかし当時は一応有効な法でした。

ひと晩の猶予をもらって何とか警察署を辞すると、大家さんの奥さんはすぐさま、この地域一帯で地方政府高官にも顔が利く、いわゆる「華人のボス」に電話をかけ助けを求めました。大家さんの奥さんは彼とは幼馴染だったのです。

そして翌日、私と大家さんとで再び警察署に赴くと、通された部屋には前日と同じ担当者が待っていたのですが、その日は打って変わって物腰低く丁寧な対応で、何事もなかったかのように淡々と事務手続きをしてくれました。嘘のようにスムーズでした。

この件は明らかに私の不注意が原因であり、善意で私を受け入れてくれた大家さんたちを大変な事態に巻き込んでしまいました。本当に申し訳なくお恥ずかしい限りです。ただ一方で、華人たちは長年、役所等での手続きのたびに規定外の賄賂を要求されるなど、生活の様々な面で不当な扱いを受け続け、時には裏で手を回したりして何とかそうした状況をやり過ごしてきた、という面もあります。私は調査地に滞在し始めて1週間足らずで、そうした生々しいやり取りの当事者になってしまったのです。


人々とのつき合いから浮かび上がる、生活の場の「華人であること」

——滞在し始めて1週間でそんな事態になってしまったとは驚きです…。「実際に華人コミュニティのなかに飛び込む」という目的にも影響があったのではないかと思うのですが、いかがでしたか。

津田先生: この町の華人たちからすれば、私の存在というのは、「自分たちのことを調べようと突然やって来たよく分からない外国人」以外の何者でもなく、明らかに警戒の対象でした。そもそもこの国の華人たちは、たとえこの地で何世代にもわたって暮らしていようとも、「中国と繋がっているんじゃないか?」、「華人はいつまでたっても華人だ(=まっとうなインドネシア人ではない)」などという眼差しを浴び続け、ビクビクしながら生きてきたのですから、そんな彼らが私のことを警戒するのも当然でしょう。

ところが、この一件があってからというもの、彼らは私のことを「警察に意地悪されたかわいそうなやつ」と見てくれるようになりました。私は一気に、彼らの輪の中に入れてもらえるようになったのです。

その後、彼らと深くつき合うようになり、次第に個々の顔が見えてくればくるほど、「彼ら=華人」と括って語ることがいかに一面的なことか、と感じるようになりました。無論、前にも述べました通り、彼らは日常的に事あるごとに「華人である」と見なされ、それを引き受けて社会の中で生きている、というのもまた動かしがたい事実です。そこで、個々の顔が見える関係性の場を基点にして、日々の生活の場で語り語られる「華人である」ということがどういう意味なのか、その場合の「社会」とは具体的に何なのか、その都度対象化して描き出せるんじゃないか、と考えました。最終的に私の博士論文は、それらをひとつの民族誌としてまとめたものとなりました。

白壁が続くルンバンの華人街の路地。2004年3月撮影。


何気ない時間によって培われた現場感覚

——人の輪に入り、「華人」というくくりを超えて個々人が見えてきたことで、改めて「華人である」ことについての見方が深まったということですね。
インドネシア滞在で具体的にどんなふうに過ごされたのかについても、お伺いできますか。

津田先生: ルンバンの町には、当時はスーパーも娯楽施設も何もありませんでした。町の華人の子供たちの多くは、中学を卒業すると100~200km離れた大きな街に下宿し、進学・就職していきます。ですので、私にとってこの町での日々の楽しみは、残されたおじさま・おばさま、あるいはおじいさま・おばあさま方とおしゃべりすることでした。

インドネシアの朝は6時台にはもう活動が始まっているのですが、朝の仕事がひと段落ついた10時頃になると、暇を持て余した年配男性陣が毎日のように、町の高台にある華人廟(中国寺院)に集まって来ては、コーヒー片手にチェスをしたり、政治談議や噂話に興じたりしていました。私も何もすることがないと、よくその場にふらっと足を運びました。そして時には私自身が、あることないこと噂話の対象にもなりました(笑)。

こうした場で見聞きした内容の大半は、論文のデータには直接結びつかないような他愛もない事柄ばかりです。ただ、そうやって彼らとともに過ごしやり取りを重ねたことで、日々生起する様々な出来事が、生き生きと全体として理解できるようになりました。今から思えば、ただおしゃべりに興じていただけに過ぎないそうした何気ない時間の積み重ねが、彼らの日常の生活世界を理解する…、というよりもそこにどっぷりと浸っていくための、大事な時間だったのだなと感じます。

ルンバンの町の華人廟「福徳廟」で日々見られる談笑風景。2004年2月に撮影。


——お話もそうですし、談笑風景のお写真もとても素敵ですね。
論文のデータの外側で起きた出来事も、どこかで研究に結びついているように感じますが、そうしたフィールドワークを経て、帰国後もその体験が活かされていると感じることはありますか?

津田先生: 学生の頃は、時間がたっぷりあってもお金がない。研究者として大学等で仕事をするようになると、お金には困らなくなるけれどとにかく時間がない。フィールドワーカーにとっては大いなるジレンマです。

ここ数年はコロナ禍もあって、私自身、現場でゆっくり時を過ごす機会からは一層遠ざかり、代わりに新聞・雑誌や歴史文書を含む様々な資料を基に論文を書いたり議論をしたりする割合が増えています。とはいえ、そうした資料ひとつひとつを前にする際には、単にテクストそのものを相手にするのではなく、その背後に人々のどのような暮らしが広がっているのか、誰がどのような現実を前にしてそのような記述をしたのか、などと常にその脈絡を想像するようにしています。自らの足で歩き、人々と交わるなかで培ったいわば現場感覚とでもいうべきものが、そうした想像力の大事なベースになっている、と信じています。


すぐには役立たないかもしれないことの蓄積が、知見を深めるきっかけに

——なるほど、「現場感覚」を得たことで、テクストの奥に広がる現実をより想像できるようになるのですね。
最後になりますが、留学や国際交流をしたいという学生にメッセージをお願いします。

津田先生: これから皆さんは、様々な目的を持って海外に渡航することと思います。もちろん、その肝心な目的そのものを達成するために邁進することはとても大事なことです。ただ、それだけに心奪われ脇目を一切振らないのではなく、ぜひそれ以外のものやことにも目を向け、耳を傾けてみてください。すぐさま何かの役には立ちそうもないそうした経験の蓄積こそが、これから皆さんの考え方や感じ方の幅を広げてくれるはずです。

——ありがとうございました!

お話にあったジャワでの長期調査の成果は、『「華人性」の民族誌―体制転換期インドネシアの地方都市のフィールドから』(世界思想社、2011年)という本でお読みいただけます。ぜひお手に取ってみてください!

また、2023年に津田先生の著書が新たに刊行されました。
『日本軍政下ジャワの華僑社会—『共栄報』にみる統制と動員』(風響社、2023年)
こちらもあわせてご覧ください。


📚 他の「私を変えたあの時、あの場所」の記事は こちら から!

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