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シックスセンス

シックスセンスを研ぎ澄ましたい。

いや。

シックスセンスを大事にしたい。


シックスセンス。

第六感。


人間にある五感といえば、「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」である。


では第六感とは。

第六感とはこの中のどれでもない感覚。

第五感を超える人間の本質を掴むほどの感覚。

言うならば、インスピレーションや直感。

勘や霊感もそのようなものである。


僕はこの第六感を大切にしたい。


なぜならば。

人間は五感を通じて現実を知る。

五感を通じて多くの情報が入ることで自らの生きる世界を狭めていく。そして可能性を潰していく。

五感で楽しむことは大賛成。

だけどそれと同時に第五感があることでの弊害が気になってしまう。

僕はそんな第五感の弊害にがっくりする。

人間の性質に惑わさせることに違和感を覚える。

だから五感だけで生活するのではなくて第六感も大切にしたい。

五感をふんだんに使って楽しみながらも第六感の可能性も信じたい。

それは五感で抑え込まれて受けいれざるを得ない現実を第六感が吹っ飛ばす可能性があるから。

よく夢を追いかける人はこの第六感を大切な価値として捉えているように感じる。

それは人間の本能に従って生きてるようでストレスフリーに感じる。


小さい頃は五感が常にアップデートされる。

だから幼少期は人間における感覚の中での第六感が占める割合は大きいのではないかと思う。

そのせいなのか小さい子供の夢は聞いてて楽しい。

将来の夢が食べ物になることであったり、アニメの世界のキャラクターであったり、、。

小さい頃に幽体離脱の経験があった!とか、家の中に見えるはずもない青いくまがいる!とか、。

そんな話を耳にしたことがあったけど、一見信じられない経験は第六感によるものが多いと思う。

それは現実をいい意味で吹っ飛ばしている。

でもそれが本当に素直な人間の本質によって起こるものなんだろう。


現実的にどうかなんてことは一切関係なく、感覚的に出てきたものが実は本質的にはその人には根拠のある自信というか、出来事というか、形として現れたのだろう。

五感があることで現実を知って可能性を封じ込めるこの世の中において、信じるべきは第六感かなって。

みんな経験したことあると思うけど、なにか勘付いたりする時ってその勘付く根拠が言語化出来なかったりするときってないかな。(もちろん根拠を言語化できることもある時はあるけど。)

何でかわからないけどそんな感じがするんだよね!みたいな。 

けどそれってきっと第六感が大きく働いてると思うんだよね。

なにか行動を起こすときに根拠のない自信がある時。沢山失敗をしてたり、ピンチに立たされているのになぜか自信がとてつもないほど出るときとかも。


これも根拠のない自信ではなくて、きっと根拠のある自信なんだと思う。


だけど、あまりしっかり定義されていない第六感によるものだから人間の頭では情報が処理しきれてないというか。


僕自身、今までを振り返ってみても第六感に助けられたことって結構あったかなって。

その時は第六感とは意識していなかったけど、自らの感覚的に従って行動した結果として何かカタチになった時とかね。


要するに何が言いたいのかというと。

五感をフルに使って楽しむことは大賛成。

だけど五感を通して現実を知り、第六感の可能性を潰すことには大反対。

上手く五感を使って、第六感と大切に向き合う。

きっとその先には新しい世界が広がるんじゃないかなって。

僕なりの考え。



そういえばこのnoteを書いてから一年が経つ。

ここに書いた時期に思い描いていた将来と現在とでは違ってたりする。

思ってた以上に違う。


だけどこのnoteで1年前の君が発した言葉。

自分に正直になって夢や目標に向かって頑張りたい。


この言葉に忠実に過ごしてきたその先に今があったわけだから、これも言葉が違うけどシックスセンスを大切にしてきた結果であると言ってもいいかもしれない。

沢山悩んだり考えたりしても1年後の未来でさえ予想できない。

それならば、ずっと先を考えてもそれがどうなるかなんて分からない。

それならば、その時その時のシックスセンスを頼りに過ごしていきたいな。


人生ってわくわくな冒険。

自分に素直に。今を全力で。周りに感謝を。

そんな心持ちで。

誰も見たことのない宝を見つけるために一歩一歩突き進んでいきたいな。


いつか振り返ったときに彩り豊かな大樹となっていますように。




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