ハムスターの国
COVID-19が世界中で猛威をふるい日本中で自粛が続いています。人文学に身を置く者としてこの状況に一石を投じるような記事を、なにか、書きたい、と思いつつもゼミの発表準備や奨学金申請の準備に追われ気づけば多くの学者が論考を出していました。
われわれ小学魔如きがこの日本の現状を分析したところで良くて二番煎じ程度に過ぎない、そう思っていました。
しかしあるメンバーの何気ない発言が身の回りの小さな変化を分析するきっかけになりました。
ことの始まりは、あるメンバーの知り合いがハムスターを飼い始めたことです。小学生の息子さんと娘さんがいるそのご家庭は、3月から続く休校・テレワークで家族全員が家に篭っていました。子供達は1週間も家から出ないことすらあったようです。
その様子を見かねた親御さんが家での楽しみができるようにとハムスターを飼い始めたのです。そしてそのメンバーが用事で訪れた際に触らせてもらったということです。
先日アメリカでコロナの影響のためひよこがバカ売れしているという冗談のような記事がありました。このハムスターもひよこ現象の延長線上にあるのかもしれません。
こうした現象は退屈な自粛下でもおうちでの楽しみを増やしたい心理に由来しているというのが一般的な解釈かもしれません(そもそもそうでしょう)。しかしメンバーの1人、伊澤は少し異なる見方をしてみたようです。
家にいる人員が増えてバランスが崩れたのが引き算することはできないこの状況で、足し算することで新たなバランスを見出そうとする健全な努力
家族だけでヒエラルキーを回復させることはできないので、いまや空となった王位に実力行使のできぬ象徴的な存在としてハムスターをすえ、世話という儀式によって成り立つ安定した秩序を生み出す
自粛による家庭内秩序のある種の崩壊という仮定を出発点としたこの分析ではペットを飼うことの倫理的・道徳的義務という縛りが、無秩序と化していた家庭の構成員に新たな行動規範を与えて再び安定状態に導く、という解釈でしょうか?
最後に筆者の研究対象であるフランス政治哲学とこのハムスター王国を結びつけてクロード・ルフォールという思想家の議論を紹介します(宇野重規先生の『政治哲学へ』を参考にさせていただきます)。
クロード・ルフォール(Claude Lefort 1924–2010)
カストリアディス、モランらと「社会主義か野蛮か」のグループを結成。グループの解散後も、全体主義とデモクラシーについて、独自の考察を行う。社会科学高等研究院教授をつとめ、フランソワ・フュレとともにレイモン・アロン政治研究センター創設において主導的役割をはたした。主著に『デモクラシーの創造』(一九八一)、『政治的なるものについての試論』(一九八六)などがある。(宇野 2019: 62)
ルフォールはデモクラシーを全体主義との比較から分析し、デモクラシーにおいては王が存在しないことから「権力の場」が空虚であるという特徴を指摘しました。人民でさえその場を占拠することはできません。この不確定性によって無限の異議申し立てが可能であり、社会が分節化されているのです。
一方で全体主義ではそのような分節化が起こらず「権力の場」は「一なる人民」という表象で埋め尽くされてしまいます。特定の“身体“が権力と結びつくことで全体主義が生じるのです。(宇野 2019: 83-87)
伊澤くんと意見と合わせて考えるなら、あの東京のひと隅に作られたハムスター王国では小さなふわふわの大福のような生き物がまさに権力として、王として受肉し家庭内秩序の源泉となったのです。
みなさんはどのようにお考えでしょう。コメントやツイートで感想・意見を待っています...!!
(文責:D)
宇野重規,2019,『政治哲学へ』,増補新装版,東京大学出版会,http://www.utp.or.jp/book/b441069.html.
イラスト ©︎2020 Yuri Shu
(Instagram) https://www.instagram.com/shumame_/