能力のない者は、無理して東大にこない方がいい-たまや(文科三類2年)

はじめに

 皆さんこんにちは。合格反省記という名の合格体験記を執筆したたまやです。最近は謎に岩波文庫を読んでイキるのにハマっています。

 ところで、合格体験記を読んだ方なら分かると思いますが、私は木更津高校の真ん中からスタートし、最終的に偏差値39.8をとった状態で、運よく東大に合格することができました(何ならそれをネタに YouTubeにも出演しました。)合格反省記とYouTubeのリンクは下記の通りです。


 合格反省記

 YouTube【前編】

 YouTube【後編】



 一見すると、その合格は非常に喜ばしいもののように思えますが、入学後にそのことが原因で、大いに悩まされることになりました。どうやら、それは根が真面目な人ほど悩みやすいようです。

 今回は、合格体験記の後日談として、偏差値39.8で合格すると、入学後にどのような苦労が待ち受けているのかをここに記していこうと思います。

 「もうここまできたら、合格さえしてればなんだっていい。」

 来る3月10日、私はそう思いながら、正午になって東京大学のホームページを開いた。その後に来るであろう、多少の困難は念頭にありつつも、それを一切合切無視して、ただ神と形容すべき或る超越者への祈りを捧げながら。結果は、『合格』。

 この『合格』には、おそらく他の受験生に比べると、幾分重要な意味を持っていた。それは「10年以上東大合格者が出ていない高校で、真ん中の成績からスタートした“凡庸な”生徒が、模試でE判定しかとったことがないにも関わらず、東大に合格した」という、学校規模ではもちろん、模試が当てにならないこと、地の能力が高い生徒でなくても東大合格はできることを示したという意味では、おそらく受験界全体に影響を与えうる例であると言えるのではなかろうか(信頼度の高い模試とはいえ、確率論上そういう例は出るだろといえばそれはそうであるし、お前の地頭がよかっただけだろと言われればそれはそうであるが)。

 要するに、「リアルドラゴン桜2」を成し遂げたのだ。UTFRにおいてでさえ、高校では初めから抜きん出て優秀だった人が多くを占める。非進学校の中堅から東大へというルートはなかなかない。その上、取った判定は一番下のみ。それも、偏差値は40台がほとんどで、一月の東進に至っては、総合偏差値39.8という逆快挙を成し遂げてしまった。(ちなみに、共通テストは715点だ。共テリサーチによると、阪大がジャストC判定ラインだった。)2重の大逆転合格であるから、もはや受験記念物として博物館に展示してほしいくらいだ。

 こうして、2つ意味での大逆転劇を経て、めでたく東大に合格したわけだ。他の人たち、特に現役の受験生たちからしたら羨ましいこと、この上ないだろう。何を思い悩むことがあるのか、そう思うのであろう。だが、こうした逆転劇は、特に後者の意味においては、大きな困難を後にもたらすのである。


自分の実力への疑問

 まず、自分が感じたことは、自分の学力に対する不信感だ。確かに、一発の試験で合格することはできたが、極論をいえば、それは当日の運がよかっただけであり、自分の実力で合格したわけではない。少なくとも、他の合格者の水準には至っていないことは、上述の自分がとってきた成績から明らかであろう。

 当然、大学に入った後に大いに苦労することになる。自分としては、勉強をアイデンティティに高校生活をくぐり抜けてきたので、それが通用しなくなってしまうのだ。自分より圧倒的に優秀な人たちを見て、自分の能力の限界を知ることになる。

 授業内で行われるグループディスカッションでは、それが一層顕著になる。深い議論をしている傍ら、己の発言の浅はかさを幾度となく痛感した。また、入学後の勉強においても、周りが好成績を収める中で、自分は単位を取るのがやっとどころか、必修のフランス語の試験を寝ブッチしてしまい、2週間ぐらい準備してきたのが無駄になってしまった。

 ただ、(点数は別として)単位は今のところなんとかなっており、やらかしたフランス語4単位分を除いて、今のところ進級に影響はほぼない範囲で単位を取得できてしまっている。もし、同じような境遇の方がいれば、入学後の単位については、真面目に授業を受けてそれなりに勉強すれば問題ないので、安心して目の前の勉強に集中していただきたい。


自己批判

 さらに、人生経験豊富で、育ちも良く、人柄の良い優秀な友人達に囲まれると、能力の低さのみならず、己の人間としての「格」の低さ、人としての低俗さ、今までの人生の凡庸さ、経験の浅はかさを強く思い知らされる。

 自分は、少なくとも高校においては、一体何をしてきたのだろうか。勉強を言い訳にその他のことを放棄し、肝心な勉強自体も自分で決めたタスクをやり切ることができず、ただ運よく最後の「合格」だけ勝ち取ったのである。果たして、この「合格」に如何程の価値があるのであろうか。おそらく、社会的な価値はあっても、すなわち外面的な価値はあっても、内面的な価値は皆無に等しいどころか、むしろ自分を過信させてしまう点で、分不相応な実力を示してしまうという点で、極めて有害なものですらあるのではないだろうか。

 人格面でも同じだ。友人の中には、視野が広く、多方面に配慮できる方々が何人もいる。個人的には、視野と配慮の広さにはそれなりの自信があった。が、自分の抱いていた自信はひどく傲慢なものであり、自分は所詮、全くもって想像力は欠如し、配慮の欠片も存在しないような、人格的欠陥を抱えた治療の施しようもないスクラップ同然の産業廃棄物が少し勉強していただけの“モノ”であることを感じるに至った。

 こんな人格であるから、高3時に空気を読まずに文化祭のグループラインでふざけてお叱りをくらい、病み期に突入なんぞするのだ。当時は運が悪いなどと思っていたが、単に自分の配慮が欠けていただけであり、己の人格的欠陥の表れでしかないのだ。それを天のせいにするなんぞ、烏滸がましいことこの上ない。そこで自省しておかないのであるから、おそらく自分の人格的欠陥はこの先も治らないのであろう。来世はもっとマシな人格を備えた“ヒト”でありたいものだ。

 と、ここまで色々書き連ねてきたが、これらは程度の差こそあれ、東大生の多くは感じることである。対して以下の点は、おそらく自分に特有のものではないかと思う。(これもさすがに傲慢であるか。やはり配慮が足りていない)


不正

 私が何よりも苦しんだのは、表題にもある通り、大いに実力不足なのに運よく東大に合格してしまったこと。そして、そこから生じた、自分が不正を犯してしまったということへの、強烈な罪悪感である

 実力が十分な水準に達していないにも関わらず、運という不正まがいのツールを用いて合格してしまったのだ。おそらく、他の僅差で不合格だった人たちの方がよほど優秀であったであろう。あるいは、他の偏差値の近い大学の多くの生徒は自分よりも優秀なのであろう。高校同期でも、自分より高い成績を収めていた人たちは何人もいた。東大が10年で一人の高校なのにだ。

 その程度の実力なのに、自分は合格してしまったのだ。いくらカンニングはしていないとはいえ、これを不正と言わずしてなんと表現すれば良いのだろうか。

 だが、哀しいかな。これほどまでに能力に差があるにも関わらず。世間では、私は「東大生」として通ってしまうのだ。実力的には東大の水準にあるにも関わらず他大に行った人よりも、少なくとも知性の面においては、私の方が高いとみなされてしまうのだ。

 私など、ただ運が良かっただけであるのに。運という不正を犯さなければ、今頃その辺でなんの目的意識も持つことなく、ただ漠然と日々を過ごすような、適当に生きているような人間であるのに。


苦悩、罪の独白、そして。

 しかし、この罪の意識を抱いたところで、一体何ができるのだろうか。もう合格者の一枠を奪ってしまったことに変わりはない。今更どうすることもできないのだ。

 幾度となく、退学を考えた。退学して、身の丈にあった大学に再入学しようかと。そうすれば、不正をした自らに罰を与え、赦しが降るのではないかと。

 だが、それをしたところで、何の解決にもならない。何の赦しもありはしない。奪った一枠は変わらないのだ。むしろ、正々堂々立ち向かったその人に失礼ですらあるだろう。支えてくれている家族へは、どう顔向けするというのか。

 そして、退学という選択肢を消した。では、どうすればいいのか。

 そう考えて、私は意識を高く持つようになった。特に顕著なのは、読書量が圧倒的に増えたことだ。高校の頃は、国語の問題を定期的に解いていた以外は、読書に相当する行為をしたことはあまりなかった。

 だが、大学に入ってからは、多い時で週5冊ほど読むようになった。元々大学生になって暇な時間ができるようになったので、本は読むようにしていたが、その頻度がさらに増えた。

 最近は、岩波文庫をはじめ、骨太な本を多く読むようになり、冊数自体は減ってしまったが、ほぼ毎日何かしらの本を読んでいる。特に、『自省録』(マルクス・アウレリウス著)や『死に至る病』は、悩める心になかなか沁みるものがあった(後者は、後半ほぼ何いってるかわからなかったけれども)。

 他にも、古典的名著と言われる本を何冊も読んだし、その中の一冊とHIKAKINのことをレポートに書いて単位を貰ったこともある(点数はお察し)。

 このことは、オリ合宿の折に友人たちにも相談した。オリ合宿とは、大学のはじめにクラスで行う合宿のことだ。いわゆる上クラ(先輩のクラス)として参加したが、めでたく多くの級友が集まった。

「だから真面目すぎるんやろな。わからんでもないわ」とか、

「俺も、仮に明日、『あなたの答案に手違いがあったので、合格は取り消しです』って言われたとしたら、全然やめてもいいけどね」

といった声があり、その真面目さを共有する人がいた。一方で、

「マジ!?俺は『ラッキー!!』って感じだけどね」

などと言うようなしたたかな人もいた。後者のような人からは、基本的に理解できないと言う声が多数だったし、自分のその意見が多数派だろうとは思う。

 だが、前者のように、程度の差こそあれ、悩みを共有し得る人がいたのも事実だ(ちなみに、後者のタイプの人によく単位を落としたり、授業をブッチしがちな人が何人かいたのはここだけの話だ。したたかさと真面目さは表裏一体なのかもしれない。)。

 そして、何よりも強烈だったのは、二浪の友人からの、

「お前、二浪して今年の共通テスト750点取ってから言ってみろ!!」

である。ぐうの音も出なかった。やはり、浪数の違う者は貫禄も違う。

 最終的に出た答えは、やはり「入った後に頑張るしかない」の一言に収束した。むべなるかな。何度も言うが、大学をやめたところで、その一枠は帰ってこない。運よく入ってしまった以上、それが過ちだったとしても、その中で、その先で、頑張り続けるしかないのである。

 また、この話から肝に銘じておいてほしいのは、「受験とは多少なりとも運の要素が関わるのであり、従って学歴とは完全に個人の能力を表す物差しではあり得ない」と言うことだ。

 そもそも、学歴とは“試験で優秀な成績を収めることができた者”が手に入れられるものであるはずなのに、それが倒錯して“学歴を手にしたものは優秀な者”となってしまっている。

 だが、後者は、私自身が大いなる反例として君臨している限りは、偽であると言うことを強く主張しておきたい。まして、学歴で人を判断するなど持っての他である。聞いてるか、2ちゃんやYouTubeのコメ欄やXなどで不毛な争いをしよるそこの学歴厨。

 また、受験生も、受験とは運要素がどうしても絡むクソゲーであることをよく理解し、少しでも合格の可能性を上げられるように、また落ちたとしてもそこまでくよくよしないようにして欲しい。何はともあれ、この目も当てられない駄文を、ここまで読んでくれた読者の幸運を心から祈る。

 本題に戻ると、それでも、自分が東大に値しない能力であることを、私は理性によって理解している。

 今でも、東大のキャンパスで授業を受ける自分に、そのキャンパスの一部をなしている自分に、少なからぬ違和感を覚えるのは確かだ。

 しかしその違和感は、将来、少なくともこの大学生活4年間、拭えることはついぞないのであろう。そしていつか、自分が何かを成したとき、すなわち東大に匹敵する実績を挙げたとき、その時に初めて、自分が東大であったことを本当の意味で納得できるようになるのであろう。そしてその時がいつか来ることを夢見て、今日も部活なりサークルなり勉強なりを頑張るのである。

 そんなことを思いながら、私は今日も、岩波文庫片手に駒場キャンパスを歩くのである。(終)

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