苺ましまろと12メモリーズ

中学生の頃、僕は、自分を肯定する方法を必死に模索していたように思う。

中学受験までは「勉強ができること」が僕のアイデンティティの大部分を占めていた。しかし、それは、入学後最初の数学のテストで落第した段階で、簡単に打ち砕かれた。部活にも上手く溶け込めず、ほどなく帰宅部になったし、(少数ながらいた)友人との関係も、確かな自己肯定の場にはならなかった。もちろん彼らに非はなくて、率直さに欠けた人間が自己肯定を求むべくもないというだけだ。その年頃の人間にとっては、率直さこそが正義だった。

当時、僕の通っていた中学では、閉鎖的な男子校ということもあってか、ギャルゲーとかエロゲーとか、その種のサブカルをこよなく愛する(乱暴にまとめてしまえば)オタク系のコミュニティがそれなりの勢力を持っていた。確かに、他の生徒からは疎んじがられていたかもしれない。しかし、僕の目からみれば、彼らは日々楽しそうに友達とだべっていて、青春を謳歌しており、自己肯定感に満ちているように見えた。ただただ、そんな彼らが羨ましかったのだと思う。

中3の頃だったか、僕は、「苺ましまろ」という漫画を学校に持っていった。ロリ要素の強い日常系ギャグ漫画なのだが、これが、オタク系コミュニティ内で、ちょっとしたヒットとなった。その成果が讃えられたのか分からないが、僕は、そのコミュニティに少しだけ溶け込むことができて、そのおかげで自己肯定感を得ることができた。しかし、実を言えば、僕は、「苺ましまろ」を、小学校の頃の友達からたまたま借りて読んだだけである。要するにただの受け売りであって、彼らと共有できるような土壌があるわけではない。すぐに馬脚をあらわして、それ以上に溶け込むことはできなかった。

ちょうど同じ頃だと思う。

僕はギタースクールに通っていた。山野楽器が主催しているスクールで、有楽町の交通会館に教室があった。僕は、そこにもうまく溶け込むことができなかった。しかも、一緒に通い始めた友人2人はメキメキ上達していくのに、僕は一向に上手くならない。原因は自分の怠惰にあるのだが、それはともかく、僕は、恥をさらしたくないから、そのスクールに通うのが嫌になってしまった。

他方で、「もう行きたくない」と親に言う勇気もない。親に月謝を払ってもらっている手前、スクールに通っている体を保たなければならなかった。といっても、金のない中学生が銀座で時間をつぶす手段は、ほとんどない。僕にできることといえば、重いギターを背負いながら、(今はなき)HMV数寄屋橋店で、CDの試聴機を渡り歩くことくらいであった。自己肯定どころか、自己嫌悪が増すだけの時間だったけれど、音楽を聴いている時間だけは、音楽に逃げ込むことができた。

あの頃、僕はヘヴィメタルばかり聴いていた。自己肯定への飢餓感というのか、内心の呵責というべきなのか分からないけれど、とにかく何か強烈なものが僕をヘヴィメタルへと駆り立てていた気がする。暴力的な轟音によって、自分を圧し潰そうとするものから逃避していたというのが正確かもしれない。

そういう、鬱屈した日々が続いていたある日のこと。

15歳の僕は、ギタースクールには足が向かず、例によってHMV数寄屋橋店をうろついていた。毎週来ているのだから目新しいものもあまりないのだけれど、他にやることもない。そんな感じでただただフロアを徘徊していて、ふと、トラヴィスの新譜に目が留まった。あ、これ、「苺ましまろ」でアナ・コッポラが好きって言ってたバンドじゃん。どんな感じなんだろ。聴いてみよっと。

なんとなくヘッドフォンをはめて、試聴機の再生ボタンを押した。

そうして、あの3分弱は、忘れ得ない瞬間となった。12メモリーズの1曲目、"Quicksand"は、僕にとってかけがえのない曲になった。

このアルバムを作った当時、トラヴィスは解散の危機にあったそうだ。それが理由なのだろうか、このアルバムは、全体としてとても暗い。フラン・ヒーリーの内省的な感情に満ちあふれている。それゆえか、僕は、その音楽に救われた。"Quicksand"のやる気のないコーラスが、ヘヴィメタルの対極から、僕に「力を抜けよ」とささやいてくれた。

そして、数日後、僕は、スクールを正式にやめた。

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