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一つの実をむすんだこれからの”音楽室”構想

うちの音楽室の目的と問い

うちの音楽教室が、この教室の場を、「教える」の「教」の字を取り払って音楽室と呼ぶようになった理由は2つありました。

・私自身が無理なく自然体で人と接したい。無理のない”仕事”を模索するため

・日本の「教える・教えられる」ということからイメージするものの呪縛を取り払ったところでの新しい関係性のなかで音楽を育みたい

私が音楽を仕事にしている最大の理由は”音楽が生まれる場所に立ち会いたい”からです。そこには「音楽とはなにか」「人と音楽の関係はどうなっているのか」「私自身にとって音楽となにか」「眼の前にいる人がする音楽体験とはどういうものなのか」という問いも含まれています。それらは、言語化して解決するような問いではなく、ひたすら、自分の中で感覚や思考を働かせることや、音楽について知ること、それらを現場で向き合っていくしかないような、そういうものでした。

一つの結実

先日にオンラインリトルコンサート、ということで、生徒たちの演奏を聞かせていただきました。そこからいろんなことが見えてきます。一人ひとりの音楽が見えてきていることや、表情(視覚的・聴覚的に捉えられる)の良さ。奏でる音楽の(演奏技術だけではない)クオリティ。リズムのとり方、音程の感じ方、対話としての音楽・共有されてこその音楽が成り立っていること。それらはあの問い達からのプロセスを経て、一つの小さな実を確かに結んできている気がしました。私一人の思い込みではなく、保護者のみなさんからも、熱いメッセージをたくさんいただいた事には更に勇気を頂きました。

例えば、今回私はこの一人ひとりの演奏に「音は最後までちゃんと伸ばす」というような指導をしたことはありませんでした。前回のコンサートはまだそれをしていた(せざるを得なかった)と思います。でも今回は一切その必要性を感じなかった。

生徒たちは自らの体感でそれを自然に行っています。演奏からはそれが心地よさにつながっていることが伝わってくるし、音楽的に自然な行為だし、心地よさというのは伝播するもので、きいている人にも伝わってくる。そもそも「音の最後までちゃんと伸ばす」というのはそういうことであって、「先生に言われてする」ことが答えじゃない。この演奏楽曲一つをただ正確に弾くことがコンサートの目的ではそもそもなかったわけです。かといって、勝手気ままに稚拙な表現?を無神経に評価して生徒の可能性をうばうことでもない。深まり、というものがあります。

私自身の問いはいまだ解決には至っていません。常に問いはそれ自身で回転し続けていて、終着点も見えない。でも、確かにこれはなにかを生んできてる、という手応えを感じることが今回できたのが、ほんと、ありがたかったです。ちゃんと私の問いに生徒たちがそれぞれの答えを引き出してきてくれていることにはほんと感謝しかない。

私自身であること

音楽教室を脱ぎ捨てた目的のうちの一つ「私自身が私自身のままでありたい」ということに従って、今生徒の募集を打ち切っています。人数的には30人程度がちょうどよいのと、こうして、問いと向き合い戯れる時間や自分自身を取り戻す時間をなんとか作り出しておかなければ枯渇していきそうだから。ただ生徒数が増えることだけがよい音楽教室、というわけでもなかろうと思っています。このまま生徒が増え続けたらまずい、という危機感もありました。経済的にはぎりぎりこれが生活の潤いをなんとかやりくりできるところで回転しています。生活は大事だから、経済と仕事の関係もちゃんと考えなければならないこと、ではあるけれども、大事なのは、まずは自分の仕事のスタイルを見極めること、経済はそれを継続するためのピースで、これをどう入れ込んでいくか、ということ、だと考えています。そういうことも「自分自身で有り続ける」大事な要素で、これはそのまま、仕事のパフォーマンスにつながっていると思っています。レッスンにおわれるようになってしまったら、しんどい。私が生身であることでしか伝えられないことがあるし、私の場合それは先生を自分から脱ぐことでした。だからといって音楽教室としていいかげんでいいということではないので、むしろ、そういう目新しことを理解してもらうためにもかなり綿密にやっていってる自信はあります。

もう一つの実を育む

実は、私の「音楽が生まれる場」へのこだわりはもう一つの実をつけ始めています。それがこの生徒たちに「音楽を泳ぐためのツール」を身に着けてもらうために行ってきた「utena drawing 」という方法や音楽を学ぶための自作のテキスト・それらを扱う根本的な捉え方「音楽プロセス体験」というメソッド。これもまだまだ模索の段階で、完成にはまだ時間もかかりそうなのだけれども、生徒たちと使ってきて今回のコンサートでもその手応えがしっかり伝わってきたし、興味がある、と言っていただくこともあります。実際utena drawing に関わって頂いたり、テキストを購入していただいている方もいる。同士である音楽教室の先生からそうやって声をかけていただけるのも嬉しい限りです。頑張らねばと思います。

そうした流れの必然のように、私にはこれらを他の音楽教室の先生たちと共有できるようにしていきたい、という思いも随分とまえから薄っすらと思い浮かべていました。こうやってこれまでのことが少しづつ実を結びつつある今、この芽を育ててみることは、決して自己満足ではないのかも、と少し自信もついてきてるし、何より、多くの人が潜在的にこんな音楽教室を求めている、ということは肌でひしと感じてきていることでもあります。それはどんな音楽教室の先生にもおすすめ、というようなものではないかもしれません。でもその先生の琴線にふれ、関わっていただく先生がいるということは大きな希望なのです。それは私にとってというよりも社会のニーズにとって。それはかならず人に必要とされる音楽教室になっていってくれるだろうと思います。まだまだ構想の域をでていない、この「音楽室構想(いま名付けた)」ですが、具体化に向けて、さらに作り込んでいこうと思っています。

ということで、リトルコンサートから一歩。







愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!