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譜読みの仕方を変えてみる3

理想は、音符のことも楽譜のことにも煩わされないで、音楽に直接向き合えるような体験にまで落とし込みたいのです。音符っていうのは媒体に過ぎないわけで、その向こうにある音楽に直接関わるようになりたい。譜読みしながらすぐに暗譜してしまう方法にかえてみて、一時完全迷路におちこんでいましたが、そこを通り抜け、かなりよい手応え。ただ、やはりかなり音楽理解と体験の理解が必要なようです。

これまでの経緯

演奏、という結果ばかり追いかけてもみえてこない音楽するプロセスを追いかける、という、utena music field  の捉え方があります。これは、生徒さんに指導には大いに役立ってきているのだけれども、いざ自分の練習となると、やっぱり古い習慣に守られながらやってしまう。
そこで、譜読みの仕方から、変えていってみようと思いたち、なぜか一度も触れる機会のなかったベートヴェンのソナタ7番をやってみることにしました。一楽章なかなか華やかでよろしい。
で、出だしは大変良かったのです。

ところが、ここからさき、前向いて進んでいる気が全然しなくなりました。
やっとそこを抜けた感じがしている今、覚えているうちに記録しておきます。

暗譜を最初から始めて良かったこと

譜読みと同時に暗譜を始めたわけですが、そんなに長いフレーズは覚えられないので、ひとフレーズずつ、ちょうどこの曲はフレーズの移り変わりがはっきりしているので、8小節程度のまとまりずつ覚えながら、譜読みをしていきました。この一楽章はプレスト(非常に速く)ですが、ゆっくりとはじめました。
ありがたいことに、utena drawing で培ったものが生きてきていて、拍感・拍子感・調性感・メロディの流れ、それらが、覚えるという作業に一緒に関わってくるので、最初から曲の核心に触れているようで、すごく楽しかった。やみくもに暗譜、音符の暗記だったらきっと苦行だと思いますが、最初から、それは考えていませんでした。例えばそこにミがあったら、それはどんな意味のミなのか、ということをフレーズ単位でよく捉えてから弾く。・・・そんなこと、暗譜しなくっても当然したほうが良いわけですが、そこに楽譜があることで楽譜通りにするっと弾けてしまえば素通りしても先へいけるのです。暗譜しながらそれはできない。(この方法の場合、ですね。)よく腑に落ちるまで、そしてミスマッピングがなくなるまで、解釈し、身体にも覚え込ませる。・・ということでいい感じにフレーズごとの流れがつかめてきました。これは良かったこと。そうやって一楽章の最後までやり通してみました。

いつまでも弾き通せないはがゆさ

意識的記憶と身体記憶の違い

ところが、です。
いつまでも通しで弾けない。
これ、もし自分が学生で、先生のところに持っていったら絶対怒られるやつです。(グムムッ)
はたできいていると、あまりにつっかえるので、イライラすると思います。ところが、私の中では、「暗譜してこの曲をわかってる」という思いというか確信があるから、余計に悪い。

早くに覚えて、楽譜をみないで弾いていて、いつまでも演奏がつながらない、てときに起こっていること。

これ、ほんとよく生徒もやっていますね。そしてずーっと仕上がらない。
そうか、これがその体感か。と思いました。

なにが起こっているか、というと、意識的な記憶と身体記憶の落差が激しいのです。
あと、フレーズしかわかっていないから、フレーズからフレーズへのイメージがないまま、パッチワークがパーツだけできてるみたいな脳内なわけです。なのに、わかってる、と脳はいうから、楽譜を見ようとはしない。

意識がちょっとでもそれると音楽が完全に止まる

そして、ずっと脳内をみて演奏しているので、ちょっとでも意識がそれるとわからなくなります。

これは、楽譜を見ながら練習していたときにはあまり表にでてこない現象で、十分弾き込んでから暗譜という段階でまま起こりますが、身体が覚えていて助けてくれるので、あまり意識せず、暗譜に移行していくわけです。ただ、これは後になって、わかった気になっていて無意識に紛れ込んでいて何もわかっていなかった、それが演奏という場面になって突然浮上してくる、という恐怖のイベントにつながったりもするのですが・・・・

その危機的状況が、一楽章全曲通したときにいきなり起こって、それがいつまでもそういう状態でした。
ちょっとでも気がそれたら音楽もとまってしまう。
この満足感のなさよ。
だって、日々の暮らしの中で、脳内であれこれどうでもいいことをおもいながらピアノをダラダラ弾くのって、むちゃくちゃいい時間じゃないですか。それが一切できない。
それに、なにかちょっと気がかりなことがあったときも、全然前に進みません。なにさま、その音楽が脳内に収納されているので、精神状態の壁が、もう見えるかのように立ちふさがるので、「きょうは無理〜」となる日もありました。メンタルの弱さが仇。

覚えたときのテンポに縛られる

実際のテンポよりかなりゆっくりで覚えていったのですが、脳内ではこのテンポでしか再生しないのに、イメージとしてはもっと速く弾けそうな気がする。で、速いテンポで弾きたくなるのですが、身体も脳内も全然ついてこず、あちこちで破綻してしまう。テンポの融通がきかないのですね。ちょっとなにが起こっているのか混乱します。

これ、耳コピタイプの生徒によく起こっている現象かも。
脳内でかなり速いテンポで再生されるから、ゆっくりやるとわからなくなる。逆にゆっくり弾いてあげておぼえさせると、テンポアップが苦しい。
脳内のテンポに縛られる、という体験、初めて味わいました。
これでは、柔軟にテンポを自分で解釈して設定するなんてことは無理。
これかー。


楽譜を見ての練習も再開

そんなわけで、頓挫してしまったので、
もう一度楽譜をひらき、丁寧に楽譜を追いながらの練習も再開しました。
目的は、フレーズからフレーズへのつなぎ、それから身体的なアプローチ、柔軟なテンポへの対応。

自分のなかでやんちゃっこと真面目なおっとり先生が協力してやっている感じです。

一回最後までちゃんと暗譜しているので、いつもの私の悪い癖、竜頭蛇尾、で後半、最後になるほど暗譜が怪しくなるし、エネルギーがもたない、というのがない!ずっと一定のエネルギーで関わることができます。これはいままでずっと解決方法が見つからなかっただけに、とてもうれしい!楽しい!もちろん楽曲の構築にもそれは関わってきます。なんだ、そういうことだったのか。

暗譜した脳内と楽譜を見て弾いている状態の混在。
そうすると、気がそれる、というとき必ずそこに音楽的な壁があることにも気がついてきました。難しいから意識が遠のく、とか、逆に気が抜けるとか、展開していることの意味についていけていない、とか。

ようやっと、演奏らしい目鼻がついてきました。
ただ、明らかに、体感は違っています。

譜面をみて弾いていたら見えないこと

結局、あの、一月ほどの頓挫はなんだったか、と改めて考えてみると、
それは譜面を見ながら弾いていたら、そこに依存してしまって、自分で音楽を捉えようとしてないところが露呈してしまう、ということだったように思います。
自分自身の内的筋力を使わず、譜面と身体的無意識とのやり取りで大半を構築しあとずけで自分の音楽を上乗せしている、というような。

わかっていないことが、あたりまえにできない、というだけ。

先に暗譜をしておいたら楽で音楽的な流れも速くつかめるんじゃないか、と目論んでいた私の予測を裏切られました。正直、譜面を見てするほうが簡単なところがたくさんあります。それに、例えば毎週レッスンで人に見てもらう、とかいう場合にこの途中の頓挫をみせるのはなかなか、リスキー、、ああ、学生時代って、だから速くとにかく弾けるようにと譜面から目を離さない練習を続けてきたその延長にこれまでの練習の仕方があったのかもしれません。

でも、今ようやっと音楽と自分が重なってきて思うのは、ずっとこんなふうにピアノを弾きたかったということなのです。
そう、冒頭に書いた、

音符のことも楽譜のことにも煩わされないで、音楽に直接向き合えるような体験。

正直、大変。でも、これはほんとに得難い。

これからはこの方法でやっていこうと思います。
1楽章にかかりっきりで、まだ全然最後まで行っていないので、これから全曲にむけてやっていこうと思います。

この体験生徒さんにも還元できるようにさらに考えたい。









愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!