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譜読みの仕方を変えてみる2

今までの譜読みのやり方を変えて新しい曲に取り組んでみています。
生徒への対応にも影響しそう。今までの習慣を変えるって、どんな苦行になるかと思っていたけど、以外にも夢中です。いやー楽しい。

選曲も良かったのかなと思います。ベートーヴェンに飢えていたらしい。

今日は第二テーマ23小節目から。ここから徐々に転調・ドミナントトニックの冒険が始まっていきます。

なんていうかな、解読しながら森の中の迷路を進んでいくような。だから意外な次の展開におおっ!てなります。それつまり、アナリーゼ(楽曲解析)ということで、さあ、アナリーゼにも時間を割いて取り組みましょう、というのではなくて、今ここ向き合っているフレーズを暗譜する(理解し演奏につなげる)には、必要なアイテムなのです。そう、冒険の鍵。せっかくなので、これを楽しみたい。

その森の中で今自分がどこにいるのか、を見失わないためには、主音の位置が体感としてわかっている必要があります。だから調性の判断が常に働きます。

目で追って譜読み、というのだと、♯は半音上がる、♭は半音下がる、という知識だけで物理的に反応することもできます。というか、そういう習慣がついてた。そういう物理的にって言う過程をかなり早期に手放して、音楽の実感の方へシフトする。

そうすると、調性に基づいた臨時記号ではない場合、借用のハーモニーなのか、それとも刺繍音なのか、ということが、即実践に必要な情報になってきます。そしてそれはいつまで続くのか。つまり、骨組みなのか、装飾なのか。それはそのフレーズのアーティキュレーションに関わってくるし、それを意識して演奏すると気持ちにすっと入ってくる、構造も見えてくる。丁寧になる。愛情を感じる。

そうか。

私は、音楽を描く(utena drawing )という方法を使った音楽を理解体験する方法を模索してきているのですが、それで感覚的に音楽の要素のつながりと自分の体感を結びつけていく、ということを習慣的に継続してきていましたが、これを応用するのは、仕上げのときだと思っていました。けれど、もっと早い段階で活用して良いんだな。

上の体験の記述はどうしても専門用語が多くなって難しいことを言っているようですが、じつは率直で素朴な体験なのです。林の向こうに山がそびえていて、その山道には花が咲いていて、というような、それに触れながら進んでいくような。理論を難しい理論としてでなく、体験で捉えられるようになったというのは、それはutena drawing の成果に間違いなく、そうか、その楽曲と出会う最初から、どんどん活躍してくれる。音楽の見え方が変わってくる。自分を置いてけぼりにしない譜読みってこういうことだったんだ。

そう、そもそもどうしてこの譜読みの方法をしたいと思ったのか。

前回は老化防止に、と書いたけれども、今になって思えば、いつかしないといけないと思っていた、要するに今までの方法に行き詰まりを感じていたのに、ずっと習慣的に続けてきてしまっていた。
それを手放していい時期が来てたということかもしれないです。

だから苦行にはならなかったのだな、と。自然乖離。

そして、これは、難しい話ではなくて、本当に初心者にも音楽が嫌いな人にも必ず応用できる。

ああ、ほんとうに音楽にどれだけ救われてきたか。







愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!