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つい二項対立のビジョンで捉えようとしてしまうこと。

今日の出来事

生徒がおうちの庭先から小さな枯れた草の実の殻をもってきてくれました。
写真でみるよりもっともっと立体的で、レースみたいできれいなんだけどね。
少しでも、つたわるといいなあ。

今日は友人とお昼ごはん。
プライドってのは、ほんとにやっかいで、という話なんかをしました。
プライドっていうのがあると、なかなか腹を割って話ができないから、
私のワークは対話が前提だからそこで止まってしまうことがしばしば。
でもプライドのその奥にあるその人がそこを見せても良いかなくらいに信頼してもらえたら、一緒にそこからやっと模索が始まる、でも、
プライドはコンプレックスより手強い、等と話してたら、

その、プライドの奥にあるのは何?

と尋ねられた。
いろいろあるとは思うけれども、

コンプレックスもあるかも。

そうか、プライドっていうのが、コンプレックスよりやっかいなのは二重の壁になってるからかあ、と、二人で嫌に納得しあいました。

いやいや、他人事じゃない、お互い、たどってきた道です。

utena drawing

8月の子どもたちのコンサート、譜読みが終わって、大まかな流れを掴むところまでみんなやってきたので、そろそろ ドローイングの出番。譜読みの大変さから開放されたのものあって、みんな、無茶楽しいそうでした。写真はその中から。

柔らかくとらえる

モーツァルトの拍って意外ときれいに整えるのが難しい。

繊細と過敏

おととい、共感覚の事を書いてて、何気なく 似て非なるものの2つの感覚「繊細」と「過敏」のことが気になりだして、いろいろ自分の引き出しをひっくり返したりしてました。
でも、2つを比較してるうちはいつまでたっても、自分が掘り下げたいと思う場所には届かない気がしてきました。

というのが、私が繊細と過敏、と2つのことばをあげた、ということは、もうすでに、どこかに 二項対立の図式があったからなんですね。対象が人ではないので変に思われるかもしれませんが・・

VSで物事を考えるというのは、それが単純でわかりやすいビジュアルを結ぶからで、そういうときは、目立つ差異ばかりに目を奪われてしまう。でも、私がしたいのはことばを通してその先にある「感覚」の生の体験に触れていきたい、ということ。

だからそもそもこの2つを心の中から取り出してきた地点で私は、ことばより先にその考えを入れる器、のほうが出来上がっていた。すでに規定されたことを考えるのなんて面白くない。

ならばむしろ、差異ではなく、共有しているものを見ていくというのも面白いかも。

ということで引っ張ります。

時間ができたときにまたゆっくり考えてみよう。

今日はここまで。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!