カザルス「鳥の歌」と年明けの気分
新年、というには日が経ってしまった気がしますが、まだ幕の内。
今年の目標などというものを立てるつもりはなかったけれど、どこかでやっぱり巡り巡って一年というのは時間経過を綴るのに良いスパン。
去年はとにかく、箱をつくる一年でした。
それはよく頑張った、褒めておこう。一応。
でも、何かが枯渇してる気もしていたのです。だから
今年はそこに質を入れていかなければ、という気負いみたいなものがあって、ちょっとなんかそれは重いな、と思っていました。
重いながらも、とにかく私自身学び直さなければ、と思い、
本棚の前で、しばらくあれこれ考えて、最初に手に取った本が
カザルスの「鳥の歌」
とりあえず、読み始めました。
一方、年末年始は久しぶりに息子が帰ってきて、うれしく楽しく少し増えた家事をやっていました。
東京へ行っていた時に溜まっていたまとまっていたマイレージの期限切れが近いとメールが来たので、慌てて消費したのはワイン。三日がかりで作った、スペアリブの煮込みと一緒に味わいました。
まだ鼻腔に香りが残っている気がします。まず、もう飲むことはないなあ。笑
次は、ちゃんとワークショップ行きにつかいたいマイレージ。
で、歌をやっている息子と、伴奏合わせをしたり、CDやテレビで音楽をきいたり。
後悔したのが、彼が帰ってくる前にシューマンもリヒャルトシュトラウスも練習しておけばよかった、ということ。いつも帰ってきた時だけしゃかしゃかと練習してしゃかしゃかと合わせる。こうやって欲しい、という意味はよくわかるが、それどころではない、和音進行についていけぬ、音の跳躍においていかれる、歌を聞く余裕はない、結果、アンサンブルを楽しむ手前で棒弾きでおわるのでした。練習してたら、もっともっと遊べたのに。
きちんと突っ込んでいける相手って、身近にいないので、本当は息子の帰省は貴重な機会。家族だから、というきやすさが良くも悪くも。料理も楽しみたいし。
ああ、でもこうやって息子が小さいときも、自分の子だからと、レッスンでむきあうのを後回しにして、しゃかしゃかとすませてきてしまっていたなあ。
息子は、家族だ、親子だというところを超えて、音楽を作っていく楽しみを味合わせてくれる。何よりの親孝行だと思っています。でも、家族だから、という妥協みたいなところで付き合ってもらうのは、申し訳ないし、私も癪、というか不完全燃焼。
何か、はいつも降りてきている。
ただ、それをひろう遊び心を忘れてしまっているのです。
オタクで良い。
結果を出さなくても良い。
ただ、それを知りたい、心で、身体で、いやもっと深いところで。
カザルスの言葉を反芻しながら、
youtubeでカザルスを聴きながら、
はじめて音楽に触れたと思った高校のころの気持ちが蘇ってきます。
そして、若い頃には解読できなかった心惹かれたそのわけを今なら少しだけわかる気がします。
昔と違うのは、本当は今の方が学び方がわかっている、なのに、どこかもうそれは終わったことのように、腕組みをして眺めていて実行できないでいるのです。時間がないとか言って、自分のことを後回しにして、でも、それが枯渇への一歩。
そうか、純粋に自分の体験も大事にしたい。
教えるという立場になった時に見失いがちなことかもしれないです。
なのでそれが今年の抱負やね。
いい正月でした。
送っていくつもりだったけれども感染を避け予定より1日早く早い時間のJRで息子が帰っていったので、
空いたこの時間、
大切に使おう。
愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!