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あの、一ミリに満たない種を侮ってはいけない。

ついてきてしまったレモンバーム


実家の畑にいくときには、必ず実家専用の長靴に履き替えるようにしていました。
まえに、長野の千畳敷にロープーウェイで登った時、乗車する前に、靴底を洗ったのを覚えていたのです。
外部からそこにない種を持ち込んで撒き散らしてしまうから。

我が家の庭には園芸種や、ハーブなどが乱雑に植わっているので、いつ、そこ靴底について実家までやってくるかわからない、と思っていて。
ただ、そこまでやる自分がちょっとやりすぎじゃない?と思っている自分もいるのも確かで、ときにそのくそ窮屈な思考に反逆したくなる時もあるのです。

農作業を終えて、ふと写真を撮りにいくときに、野良着をきがえて、ふわりとここちよいスカートを風に孕ませてそこに立ちたい、なんておもったりもするわけで、玄関にはもう運動靴が待っていて、私はときどきそのままそれを履いて畑に向かいます。

先週、草の手入れなどしている時、ふっと、道の際に、あれ?っとおもう植物が生えていました。
ちょっとつまんでみてやっぱり、レモンバーム。
やられた!って感じ。
ここまでついてきたかと思うとかわいくもあり、生命力に感嘆もするけれど・・
まだ、花はついていないので、慌てて抜いてきました。
気がついてよかった。

元田んぼでは、去年枯れた後も放置していたコスモスが一斉に芽を吹いて、はやくもちらほらと咲き始めています。

タチスズメノヒエの逆襲

去年一昨年と、畑で猛威を振るったタチスズメノヒエ

人気のない朝に、この穂を全部切り取って集めて回りました。
なぜ人気のない朝かというと、何をしてるか、と尋ねられるとめんどくさいからです。きっと嗤われる。
でも、私はわかっていたのです。
ここの畑に放射状に広がっているタチスズマノヒエはもとは石垣にたった一株生えていた一昨年の親株で、ぬきとるのがちょっとおそかったらこの始末。

株を抜くのは大変だし、母はここに耕運機でたがやしてもらうと言ってる。
そのまえに!とにかく穂をかりとっておかねば。

とにかく、いくたびに畑中からこの穂を集めて、さて、どうする、
というので、とりあえず、積み上げて、囲って、上から蓋をしておきました。
燃やせばよかったのかもしれないけど、時間がなくて、あと火を使うのはちょっとまだ怖くて、堆肥化することに。

いくたびに米糠と水を足し、攪拌し、それでもいくたびに、たくましく芽が出ています。これをまた解して成長しないようにうずめてしまう。

いつまでつづくんかな、これ。
果たして堆肥としてつかえるようになるのか。タチスズメノヒエの培養をしてるだけになるのかは、わからない。

何千、何万、もしかしたら何億あるかもしれないタチスズメノヒエの種をいくたびに殺します。
もしかしたら、私の執念が実って、タチスズメノヒエのほうでこの畑を敬遠してくれはしまいか。
ふと、シュタイナーの農業講座にあった対話を思い出しました。
うろ覚えだけど、こんなだった気がします。
シュタイナーは、アブラムシを撃退するには、アブラムシを丸焼きにして撒いておくと良い、と。
それにたいして、それは黒魔術じゃないのか、という質問があり、
魔術に黒いも白いもない。と。(そもそも魔術なのか?)
結局は人の内面ひとつ、ということか。

雑草の種を蒔く

去年の秋、うちの周りから散歩の時に、あれこれ雑草の種を集めておいて、
それを、野っ原としておきたい桜の敷地に、蒔いておきました。
猫じゃらしやまくるば草が芽を出していて、嬉しかった。
今年は、あざみと宵待草を持っていくつもり。

どこかに秋の麒麟草はないかしら。
昔ここの敷地にあったという、鬼百合も再生させたい。
竜胆や、ツリガネニンジンも。

去年ふた株ほど咲いていた台湾百合がたくさん芽をだしていたし、
(これは増えすぎない程度に管理したい)
杉の林では、去年はなかったヤマユリの芽も確認。

種を相手にする、というのは
時間を行き来するようで楽しいです。



愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!