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一様であること、多様であること

リナリアとハハコグサが仲良く小道の脇に咲いていました。
これを草刈り機でやってほしい、と頼まれたけれど、かわいいし、このくらい何も悪させんやろーとほっておきました。

母は目が悪いので、目にくつ所の草刈りを、と頼んでくるのだけど、荒野は雑草が背丈までしげっているのだよ、そっちをなんとかせねば。

なんでこんなへんてこなものばかり はえてくるんやろかねー
異常気象かねー

と、母。

畑はただならぬ気配、とおもってみれば、オニノゲシ、決して、珍しい植物じゃない。けど、これだけが野菜のように一斉に育っているのは、異様な感じがします。しかも赤茶けた色で。これが昼下がり、一斉に綿毛を広げ、夕方には一斉につぼむから、さらに異様さが増します。

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ここは多分一番除草剤がきつかったのでしょう。蓮華はほとんど芽も出さなかった。

無理もない、というか、私も無関心だったのだし、もし、親戚のひとが見るに見かねて除草剤をかけなかったら、ここはいまごろ、チガヤのでかいのだけが繁茂して、地面をしっかりと根で覆って、手のつけようがなかったはずで、田んぼをつくれなくなって3年、かろうじてまだ、畑のような姿をしているけれども、ここはなんの土地なんだ。


その上の田んぼになるここ(写真下)は、まいた蓮華が生えてきたところ。濃いみどりのところは蓮華。
ここはもし蓮華がなければ、一面 雀の帷子。


画像3雀の帷子も、どこにでもあるありふれた草なのですが、オニノゲシと同じように、どこか凶暴さを帯びている。そもそも生き残った野草はみんな、異常に数が多い。

多様性、がどれほど美しいことだったか。今のこの景色が、昔の景色とどれだけ違ってきてしまっているか。猫の枕は?ネジバナは?ツリガネニンジンや蛍のふくろ、アキノキリンソウはどこにいってしまったのでしょう。

結局、除草剤は更に強い種だけ繁茂することになるから、同じ種が一群れで覆うことになる。それを目の当たりにして、驚いています。

除草剤だけではなくて、耕運機で耕した後も、同じ種類の雑草が一斉に目を出します。

人の群れも同じように見えてしまうときが怖い。なにか、あれにとてもにている。

高齢化がすすむ、ということは、こまめに草を狩る人がいなくなるということで、
除草剤に頼らざるを得ない。

けれどその前に、野の草を十把一絡げに”雑草”と呼び、嫌ってきた昭和時代の農業の思想が、ここまで環境を追い込んできたのかもしれない、とも思ったりします。大正の生まれだった祖母は自然とともに生きていました。それをよく覚えています。明らかに、時代はそれを押し流して行った。盛大な農地改革が行われて、森が果樹園になっていきました。それが痛くて、農業に背を向けて来た自分もいて、それが逃げだったことも自分ではわかっていて、そして今もかたてまでしか関われはしないのが、なんとも悲しいと思います。

ただ、小さく朗報。

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葛一色で覆われて、鬱蒼としていたここは、その元田んぼの下にあたります。雨水が上からながれこんでくるから、影響があるかもと思っていたけれど、今の所大丈夫そう。この、下草のけしきの違い。いつの間にかなくなってしまった春蘭もいつかもどってくるでしょうか。

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ここも、除草剤を免れた場所。セイタカアワダチソウや長い穂の外来種を冬の間丁寧に覗いてきたところで、ギシギシが有勢ではあるけれど、足もとには小さな乳草や、すみれの群れも同居しています。

ここも耕運機ですき込んで更地にする、と、母はいっているけれど。何もうえんのに、そんなんせんでもええよ、と、私が言ったところで、どうもならない。母には”雑草”でしかないのだから。


とりあえず母が思いついて誰かに頼んでしまう前に、草刈り機をブンブンと振り回して、刈ってしまっておきたい。できるだけ早くまた行けれたらと思っています。せっかく広がってきているすみれがここにあるから。この小さなすみれを守るために、アカメガシワを抜き、地面に張り付いたニンドウや葛をはぎとり、チガヤを抜いてきたことを、言ったところで、「そんなん、せんでええよ、体壊したら何もならん。」と言ったらそれまでで、そうやって私の意思が通せたことと言ったら音楽を続けたことだけだったかもしれない、母がみてきたものと自分が見ているものがこう違うことが、残念だけれども、母もこの地に暮らしこの地に生えた一つの植物みたいなもので、私よりよほど土とともに生きてるとも思います。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!