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音楽の背中・暮らしの奥に(日記)

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大人や子供がやってきて音楽をまなぶここutena music field での出来事と、日々のふりかえり、明日への希望などを。 音と音のあいだにある音楽と西洋音楽の仕組みへの敬意…
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2022年10月の記事一覧

音楽を描く’10月愛媛のワークショップ

自分の体感や感覚から音楽に触れていく、そのために、感覚と音楽との間をつなぐツールとして、クレヨンや色鉛筆を使い、動線を描きます。 微細なところで、やりとりする作業。 昨日は、月一回開催されている愛媛でのワークショップでした。 いつか取り組まなければと思っていた 長調と短調の違い。 理論的なところを、体感で掴んでいく作業は 時間も手間暇もかかりますし、集中力も必要。 いつも開放感を楽しんでいただいているみなさんにも 今回は、地道に定規で線を引くところから始めました。 一度

あおい水底のメロディ

あのとき、 たしかに 深いブルーの水底まで手が届いて、 音を拾ってこられたような、 そんな、めったに味わえない演奏に 集中できたのに、 旅の後、日常の喧騒のなか いつもの耳に、いつものピアノの手触りにもどっていく。 あの時の集中に戻ろうと、少し焦るけれども、 いや、こういうものなんだな。 時間ができるまで、焦るのはやめよう。 チェリストのカザルスが 本番直前に洞穴をみつけて、ピアニストと一緒に探検して 泥だらけでやってきた話が大好き。 音楽家にとって、 (どうかピアノ

子どもたちのピアノコンサートを終えて

いいコンサートができたんじゃないかなとおもう。 誰も取り残さないコンサートにしたいとおもってて・・ ちゃんと、その生徒が追っている音楽の筋がみえる、 無理のない、それでいて、「発表会」ではない「コンサート」と言えるクオリティの。 そこには芸術的価値観、というものが反映してくると思う。 というか、  ピアノ教室の発表会の根底に「芸術的価値観」をもってくるっていう そういう発想を私はあまりみたことがないが、 私はずっとそれは思っていて、 だから、発表会とは呼ばず、リトルコンサー