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鋼のメンタルが出来上がるまで

私は周囲からよく「鋼のメンタル」と言われる。なんというか、色々不遇だったり、ひどいことを言われてもそうそう落ち込まない。自分でもそう思うときはある。その変遷を自分なりに考察してみた。

いじめスレスレの幼少期で得た免疫

小学生の時の掃除時間、アメフトと称して私の上に大爆笑しながら沢山の人間が馬乗りなってた。ある時は強制的にモザイクのない女性の映像を私に見せて私のオロオロする様で爆笑していた同級生。

中学生の時はもう少し笑ってられない。バイクが校舎の周辺を爆音で回るたびに授業が中断する。カースト上位の不良達はどこで手に入れたかわからないけどなぜかお金を持っており、来賓用のスリッパを履きながら近所の蕎麦屋に昼食を食べに行く。先生も咎めたいが咎めるのが難しい、そんな世界。ここで目を付けられたらさすがに遊びの延長では済まない世界になる。何度も目を付けられそうになるが、紙一重で回避してきた。

いじめる側は相手のリアクションを楽しむ。私は幸運にもこのメカニズムに当時気づいた。困ったり、怒ったり、悲しんだりするほど相手はやりがいを感じるのだ。

そこで鋼のメンタルである。

動揺しない、かと言って強がらない、程よく困ったり驚いたりしながらも、冷静かつ明るくリアクションをする。表情は明るく、馬鹿にしない程度に。
「宇都宮」という特殊な名前や頭が絶壁という身体的特徴を使って浴びせられる差別的な表現の数々。みんなと違うところは馬鹿にしていいという子供たちの残酷世界。

その過程で、何を言われても本気で感情を揺さぶられることがなくなっていった。それどころかそういう痛烈な過去を話し、ネタにすることで昇華させることを覚えた。トコトン黒歴史はネタにする。辛さを笑いに変えることが何より重要だ。これは大人になった今でも続けている。

大人になって気づいたこと

そして未来になり、大人になった。いじめていた子供たちはその事実がなかったかのように何も気にせず、あるいは美化し、普通の大人になっていくことを知った。

人は変わっていくのだ。その過程で発生する一片の気の迷いのようないじめを真に受けても始まらない。もしかすると私だって、無意識にどこかでそんなことをしてるかもしれない。そう考えるとこの連鎖を断ち切ることのほうが重要に思える。

大人になり、試練のメニューはいじめから相手の心ない一言や自分への悪評や運命のいたずらのような子供たちにまつわる課題や、「詰んだ」と言いたくなるような八方塞がりな状況へと変化した。

そんなことが起きても簡単には絶望しない。どうやったらその状況を脱出できるか?楽しいことに変えていけるか?考えている。

それでも絶望しそうになることも経験した。いよいよそう簡単には心が折れなくなった。鋼のメンタルは完成形に近づいている。

人生に期限があることがわかってると悲しんでばっかりなんていられない。悲しいこともスパイスとして欲しいけど、楽しいことを人生多めに。自分の人生のキャンバスには描きたい。それが私の鋼のメンタルの原動力だ。

皆さんの人生のキャンバスが少しでも輝きますように。

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