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コチ 2-2

 それは、コチがまだ飛ぶ練習をしていた頃だった。
 ただ、この頃のコチは、あの頃のように自分の羽に、多くの希望は持ち合わせてはいなかった。
 コチは寝床であるジイさんの周りだけで、飛ぶ練習をしていた。
 老木の幹を離陸し、ある程度の距離まで飛べたらまた老木の幹に着陸する。
 その繰り返し。
 太陽の目を気にしてか、すぐに隠れられるようにコチはなるべく老木から距離を離れずにいた。
 そんな中、一匹の蝶がヒラヒラとコチの小さな領域に入ってきた。
 これが、ホリデイだった。 

 コチは急いで、老木の幹の上にある薄暗い影になる部分に移動して息を潜めた。
 侵入者が現れると、いつもこうして隠れた。
 老木の葉は大きな影を作ってくれ、コチの身体を包むように隠してくれた。
 コチは、いつものように侵入者が早く出て行くのを待っていた。
 でもホリデイはなかなか出て行かなかった。

 ホリデイは、ヒラヒラ飛んでは、そこに咲く草花に次々と降り立ち何やら話している。
 それはコチが目も合わせた事のない草花。
 コチは近所に咲く草花と話をした事はない。
 せっかく見つけた寝床だ。
 住みづらくなっては困るのだ。

 人の住んでいない空き家には、草は伸び放題、私を見つけてと、そこから花がひょっこりと顔を出している。
 ホリデイを目で追いかければそこに花が咲いていた。
 コチはそこに花が咲いている事を知らなかった。
 ホリデイは、ひとつ、ひとつに、陽気に声をかけていた。
 コチは黙ってその様子を見つめていた。

 コチの視線の先がどんどん近くなる。
 まずい。
 と思った時にはもう逃げる事ができない距離にホリデイはいた。
 動いては見つかってしまう。
 ホリデイが、老木の広がる枝葉を見上げながらコチの方にどんどん近づいてくる。
 かなりの近さだ。
 ホリデイがコチの隣に止まった。
 コチの息はさっきからずっと押し殺されていた。
 ホリデイは光を包むように大きな羽をゆっくり閉じる。
 コチは、こんなに間近で蝶の羽を見たのは初めてだった。
 コチの隣にいる蝶の羽はコチのおかげでよく輝いた。
 コチは老木にへばりつき、コケのようにピクリとも動かない。
 どうか、俺の羽、見つからないでくれ。

 「産まれたての葉だね。おはよう。今日の風乗りはどうだい?」

 ホリデイは、風のようにふわりと老木に囁いた。
 ホリデイは、隣で息を殺すコチには全く気付いていなかった。
 とても失礼な事だが、コチにとってはありがたい。
 このまま気づかずどこかに飛んで行ってくれる事を息を殺してただ祈るだけ。
 でも、コチの祈りはすぐに遠くに逃げていった。
 ホリデイの驚いた声が、コチの耳に届いた。

 「ん?・・うわッ。びっくりした。なんだよ。いたのかよ?」

 コチは、ドキッと体はそのままに、心臓だけが飛び跳ねた。
 それでも、まさか、自分に声を掛けている?
 そんな訳ない。
 隠れる事には自信があった。
 声のする方に、ゆっくりと静かに顔を動かした。
 目が合う。
 その蝶は確かにコチを見つめている。

 見つかっている。

 コチは、すぐに視線を反らした。
 宙を向き、黙ったまま動かないでいると、ホリデイは羽を翻し、コチの見上げる宙に現れた。

 「おい。今、目が合ったよな?なんで無視すんだよ。」

 ダメだ。完全にバレている。
 ホリデイは大きな羽を優雅に羽ばたかせながら、見上げるコチの顔を覗いた。
 陽気に話すホリデイに対して、コチの顔は、強張り、怒りに満ちた表情だ。

 「ここから出ていけ。ここは、俺の場所だ。」

 コチは力一杯、目の前の美しい蝶に向かって叫んだ。  
 ホリデイも、いきなり「出て行け」なんて言われたものだから、黙っていない。

 「なんだ。口を利けるじゃん。でも残念。不正解。ブーだ。正解は、ここは僕の場所だ。空を見上げてみろよ。青い空があるだろ?なら、ここは僕の場所なんだ。」

 老木は、ただ風に揺れている。

 「うるせー。いいから出て行け。」

 「なんで出て行かなきゃいけないんだ?ここは僕の場所だって言ってるだろ。嫌ならお前がどっかに行けばいい。」

 お互いが、この場所を譲らなかった。
 場所というのなら、ここは老木の枝。
 文句一つ言わず老木は、黙って2匹のやりとりを見守っている。

 2匹の言い争いは、お互いが「出て行け」の一点張り。
 でも、口の悪いホリデイの何気ない一言で簡単に終わった。

 「だったら、どっちにいてほしいか。この木に聞いてみようぜ。きっとこの木は僕を選ぶはずさ。お前を選ぶ奴なんか、どこにもいやしないよ!」

 ホリデイは、そう言うと噴出すように笑い出したが、それを聞いたコチは、突然、黙ってしまった。

 「ジイさんは、選んだりなんかしない・・」

 コチは、そのまま小さな羽を広げ、老木から飛び立った。

 「え?行くの?おい、終わりかよ?」

 ホリデイは、不器用に羽を動かし飛ぶコチの後ろ姿を目で追った。
 ホリデイは一匹、老木にぽつんと残された。老木の葉が風に揺れる。

 「なんだよ。あいつ。冗談もわからないのか?つまらない奴だよ。なあ?」

 ホリデイは、不貞腐れたように老木に呟いた。 

 風で老木の葉が揺れる。

 「確かにセンスのない冗談だ。」

 ホリデイは、居心地が悪そうに頭をぽりぽりと掻きながらジイさんの葉で作られた影を見つめた。

 「あんた。ジイさんって言うんだな。」

 出て行ったあいつが呼んでいた名前。
 ホリデイの知らなかった名前。

 「ジイさん。あいつ行っちゃったね。まあ。僕が追い出したのか。」

 若い葉が風に揺られてチカチカとホリデイの羽を照らす。

 「分かったよ。あいつをここに連れて帰るから許してよね?ジイさん。」

 ホリデイは面倒くさそうに羽を広げた。

 「探してくるからさ。教えてよ。あいつの名前は?」

 葉が優しく風に揺れる。

 「そっか。」

 ホリデイは、飛び立ち、コチの後を追った。


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