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コチ 1-5

「チョウチョさん?」

 コチの耳にようやく花の声が届いた。
 コチはいつの間に眠ってしまっていたらしい。
 いや、あれは気絶だっただろう。

 暴風がなかったかのようにやけに夜は静かで、何も見なかったとばかりに月も雲に隠れ、ぼんやりと淡い光を浮かべる。

 静寂な夜。
 花の声だけがそこに響いていた。

 「チョウチョさん。大丈夫?どこにいるの?」

 何度も聞こえる花の声。
 花の声はコチのすぐ近くから聞こえた。
 雲に隠れた朧月を見上げながら、コチは、聞こえてくる声を辿った。
 目の前に花が現れてそこからよく覚えていなかった。
 ポテッと落ちてコロコロと瓦礫の山を転がっていったのだろう。

 瓦礫の山を一つ隔てて、コチと花は隣にいるらしい。
 どうやら花の場所からはコチの姿が見えないようだ。

 なんとなく今の状況を把握したコチは、ムクッと起き上がり、体の調子を自分の体に伺った。
 特に痛むところはないし、羽も傷ついてはいなかった。
 ただ、体を動かすとそれに反応して胸糞悪い化け物が、頭をぐるぐると這いずり回った。

 「うぅ。気持ち悪い。」

 コチは頭を押さえ、なんとか化け物を落ち着かせる。
 月は、雲に隠れ、コチの様子を伺っている。
 不機嫌に体の砂をはたくコチ。
 月がコチのご機嫌を伺うようにそぉっと雲の間から顔を出した。
 コチは月を見ようともしなかった。

 コチは、静かに少しずつ羽を動かし、動くたびに、気持ち悪くなる頭を宥めながら、山を登る。
 その頂まで来ると花に気付かれないように屈みながらゆっくりと谷底を覗いた。
 花の横顔を見つけた。
 花にかぶった砂は綺麗に風が運んでいた。
 花びらは月明かりに照らされ、淡いピンク色がかすかに夜に浮かんでいる。
 心配そうにキョロキョロと辺りを探している花。
 声には、悲しみが現れ始めていた。

 

 月の気持ち。

 月はコチを見ていて心配になっただろう。
 それもそうだ。
 いたずらな風に無理やり運ばれてきたのだ。
 あんなにめちゃくちゃに飛ばされた虫を見て、何故だろう、思い出すと笑いそうになるじゃないか。
 そんなはずはない。
 あんな勢いで飛ばされたんだぞ。
 気を失うくらいで済んでまだ良かった方だ。
 怪我でもしたらどうするんだ。
 笑うなんてけしからん。
 そう思えば思うほど、笑いそうになるはずだ。
 まだ、雲の間から顔を出すには早かったんじゃないかな。
 月が心配なのは、今のコチを見て吹き出して笑ってしまいそうな事だけじゃない。
 あんな飛ばされ方をされたコチの気持ち。
 あんな飛ばされ方をされたのに笑いの対象にされているコチの気持ち。
 ちっぽけなコチの気持ちを考えると心配だ。
 きっと、あいつはヘソを曲げている。
 月の嫌な予感。
 コチは、今、必死にコチを探すあの花の言葉をきっと無視するだろう。
 さっき、やったみたいにきっと花を傷つける。
 ましてや、闇雲に暴言なんて吐かなきゃいいが。
 月は心配そうにコチを見ていた。


 「間違いだったのかな・・・?」

 

 「違う。私はちゃんと見たわ。大丈夫よ。大丈夫。」

 しきりに自分に言い聞かせる花の声が静かな夜に悲しく悲しく響く。
 もちろんその声は、そばにいるコチの耳にも届いていた。

 ほら、やっぱり。あいつは無視をするだろう。
 月は、もちろん知っていたさ、と予想の範疇であると自分に言い聞かせ、溢れ出てくる苛立ちを抑えようとしていた事だろう。


 声がした。


 「ここだよ。ここ。」

 

 ・・あれ?

 月は「え、あいつ?」と宙を舞う風に問う。


 「ここにいるよ。僕が見える?」

 恥ずかしそうに、でも優しいコチの声が確かに月まで届いた。
 ぼんやりした月明かりじゃなかったなら、コチの真っ赤に染まった顔が見えた事だろう。
 でも月はその顔を知っている。

 月の安堵したため息を夜風が運ぶ。

 

 夜風が花の頬を撫でる。
 花は、積もったばかりの悲しみを息と一緒にふーっと吐き出した。
 その風は閉ざされたひとりぼっちの部屋の扉を開いた。

 

 「ど、どうも。えっと、ごきげんよう。えっ、いや、こんばんは?」

 花の声は緊張した様子で、所々上ずっていた。それでも、なんとか、明るい印象を与えようと、何度言葉がつまずいたり、転んだりしても話し続けた。

 「お、お会いできてとても嬉しいわ。えっと、あなたはどこにいるの?ここからでは、あなたが見えないみたいなのです。」

 花は、必死で見えない相手の顔色を伺うように話していた。
 コチはというと、なにやらモゾモゾ動いている。

 コチは、「話をする事くらい別に大した事じゃないだろ?」と自分に言い聞かせ、自分は余裕であると月にアピールするかのようにその場所で、楽な体勢がないかと、何度も体の向きを変え、月と花の見える絶好の位置を探していた。
 「こりゃ良い。」と最適な体勢で月を見上げるコチ。
 早く返事をしろ、と、そんなコチを月が睨む。
 そこでは、横を向くと花の横顔が見えた。
 花の横顔は、コチの返事を待ち望んでいた。
 コチは、ばれないようにゴクリと大きく息を飲む。
 そしてゴッホンっと息を整えた。

 「君の近く。とっても月が良く見える場所だよ。」

 花は、まだコチの事を探していた。
 声から近くにいる事はわかる。
 でも見つける事は出来ないようだ。
 その体勢とは裏腹にドキドキと瓦礫の山の上に寝転がるコチだったが、コチは花が自分の事を探せない理由をすぐに理解した。
 コチの羽の色はくすんだ色の瓦礫によく溶け込んだ。弱い月の光では、発見は難しいのだろう。第一に花はコチの事をチョウチョだと思い込んでいる。
 見つかるわけがない。

 「私の場所からも月がとっても良く見えます。きっと近くにいるんですね。でも、ごめんなさい。やっぱり暗がりであなたを見つける事が出来ないわ。」

 花はお月様とは言わず、コチに合わせるように月と呼んだ。

 「見えなくて当然さ。月の光は弱いから、月の世界は、音の方が良く見えるのさ。だから話をするには、なかなか良い世界だよ」

 月は自分のせいにされている事が不服だったに違いない。

 「ここは、月が良く見えて寝心地の良い場所だから、今日はここで君とお話をしながら眠る事にしよう。いいかな?」

 不服そうな月の視線に気がつかないコチ。
 でもコチには、それは花にとっても最良の方法だと思ったのだ。

 「もちろん。」

 「嬉しいです。ずっと誰かとお話しがしたかったから。」

 優しくコチの耳に触れる花の声。花は、もう、コチの姿を見たいとは言わなかった。

 「それは良かった。」


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