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”自由のめまい”と社会人

「不安は自由のめまいだ」というキルケゴールの言葉に心打たれます。社会人になりたての方はおよそ全員がこの「めまい」に押しつぶされ悩んでいるんじゃないかなと思います。私もその一人、中でも重症なほうなのかもしれない一人です。(キルケゴールを知らない方はググってみてください)

私はなりたてどころかもう5年以上も会社員として生きていますが、いっこうにこのめまいが収まる気配はありません。

学生時代は様々な拘束(校則)のもと生活をしていますし、学業といういわば帰る場所があるため、それをアイデンティティみたいにして、遊んだり、アルバイトしたり、部活動に勤しんだり、もちろん勉強したり、様々です。

会社員というのは会社に所属することになる一方で、縛られ方が根本的に違う。会社は規定に沿う前提であればいつ何時に辞めていいものですし、自分の能力に依存する形でしかイベントは生じません。人間関係は希薄でなくてもどこかドライで、年齢差や立場の差が、帰属意識を醸成させない。愛着が湧かない。自分が誇るべき場所にはならない。

自分自身の目的のようなものって、適当に選んだ会社には置いてないんですよね。学校では勉強でも試験でも部活でもイベントでも、自然と目的のようなものを強いられるというか。その中で漠然と漂うように生活してきた人間には、放り出された時にみずから目的を持って生きようとすることができない。できない、は言い過ぎでしょうか。でもやはり、難しい。


やろうと思えば、このままゆらゆらと漂って生きて死んでいくこともできます。多分それが一番簡単だろうなとも思います。


さて、私は一度転職をしています。一年間ほど時間を使って、悩み、準備をして、転職を実現しました。会社の人気度合いや経営状態、業務内容を考えると明確なステップアップであり、自分の人生における大きな進展です。

ただ、私にとっては「転職」は「変化をつくること」であり、ある種の「呼び水」のようなものだったのだろうと思っています。前の会社より素敵なところに入れたのは単純に誇らしいですが、正直に言ってしまえば転職はゴールでもなんでもなくて、(当時)まる4年間同じところで仕事をし続けてきた自分に対する「このまま滞留する気じゃ無いだろう?」という問いかけと、それが目に見える形での表現だったのだと自覚しています。

前の会社に居たときは、まさに日々の目的を見失っていました。このまま漠然とお金を稼いで、よく慣れた環境で業務を遂行して、平均以上の年収を稼いで、失敗もせず、成功もせず、上手に生きていくこともできるなあ、と、ふさぎ込んでいました。このままでいいんだろうかと漠然と思っていました。まさにめまい状態です。

でも、転職ができるのであれば、当然会社を辞めることができる(前の会社は「辞めている」わけですから)。思考停止して漠然と会社に居続けることの無意味さを、実感を伴う形で理解できる。自分のやりたいこと、在りたい姿をただ漠然と妄想するのではなく、ただ資格を取得したり、勉強をしたりするだけではなく、行動を起こして達成したことが、自信になる。


選択肢が見えるけどそれを自ら選び取っていけない自分(自由なはずなのに何をすればいいのか分からない自分)と、ひとつの選択肢を自らの意思で選択した経験のある自分(選び取ることができることを経験した自分)では、めまいの中での在り方が全く違います。

いわゆる「からをやぶる」みたいなことなんですが、私の場合はこれが必要だった。もちろん、わざわざ会社を辞めずとも、勉強や思考を重ねているうちに突如やりたいことを見つけて、フラフラとその都度でその人自身のやりたいことを成し遂げ続ける人も居るのかもしれませんが、私にはそれができなかった。

でも、からをやぶった私は今、本当に自由の中にいると思います。会社なんていつ辞めたってかまわない。本を読みふけってそのまま死んでもいいし、一念発起して起業しようと考えたって良い。面白いことを見つけて副業したっていいし、思いついたことをやってみたって、やらなくたって構わない。


成功体験でも何でもないんですが、めまいの中でふと見えたものを手に取って、行動を起こす程度で十分だなと思えるようになって、ずいぶん気が楽になってきたような実感はあります。別に何かをやってもいいし、何かをやらなくてもいい。遠くの誰かみたいなことをしようとしても意味が無いので、今ここにある自己を見つめて、どうせそこから湧き出てくることしかできないので。それをどう楽しむことができるのかが大切な気がします。

あとは、生活の中で、家族や友人のことを大切に考えることができればいいなと思います。そのために必要になりそうな条件と、自分の中にある欲求とのにらめっこが大切になってくるかもしれません。これは「家族や友人のために」何かをするのではなくて、「家族や友人との在り方を考えて、自分のために」何かをする場合です。前者だと依存みたいになりますし見返りを求めたくなりますが、後者だとそうはなりませんね。

めまいの誘いは強くなる一方ですが、大切なものを丁寧に理解して、付き合いながら、今の自分が何を優先して生きていきたいのか、考えて、考えて、出てきたアイディアを見つめて、ゆっくり生きていきたいと思います。




おまけ

当面は、知的好奇心を満たすことが楽しい日々が続くと思いますが、この間、知人と副業の話をしたことがきっかけで、生産側に思考が飛び、かなり興奮しました(スモールスタートで始められそうなアイディアを見つけました)。大切な人と真剣に会話をすることの大切さを思い知らされました。(一人で考え込んでいるよりも刺激になって良かった)

結論が、かなりめまいから離れることに成功していそうな文章になりましたが、ああ書いておきながらも「見えるけど選び取れない選択肢」って、実はたくさんありますよね。ゼロになることは無いのでしょうけれど、こうやって、めまいの中での振舞いを少しずつ整理していくことで、自信を持って生きていくことができればいいなと思います。

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