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奈良と東京のみんなでお芝居を作って”家族”になりました~ココ・デ・テアトル第1回公演まとめ

9月30日~10月3日の4日間、【ココ・デ・テアトル】と題した演劇の新プロジェクトで、西村邸を舞台に公演をしていました。

(フライヤーデザイン サトリデザイン)

「町に眠る“記憶”と“場所”を借りて創作し、その土地だけの新しい表現を目覚めさせるプロジェクト」を掲げてスタートした【ココ・デ・テアトル】。2021年の4月に、西村邸を偶然見つけて東京から泊まりに来てくださった、俳優であり脚本・演出家でもある秋草瑠衣子さんと意気投合して立ち上げたプロジェクトです。そこから半年足らずでの第1回公演を「成功!」と言える形で終えることができました。

彼女の友人であり、東京の演劇ユニット【PUNKBUNK】のメンバーでもある末冨真由さん、同じく土肥麻衣子さん、そしてサポートしてくれた彼女たちの教え子くん。東京の制作スタッフさん。
奈良で暮らすライターの大越元さん・島田彩さん、2人が解放している”101畳のひみつきち”【toi】で暮らすみなさん。
そして、快く協力してくださった奈良町の方々。42人のお客さま。その他、多くの方にご迷惑をおかけしながらも、お力添えいただけたことを、本当に有難く思っています。

多くのお客さまに高いご評価をいただけたことで手ごたえを感じており、今後も西村邸が関わるプロジェクトの一つとして継続していきたいと考えています。この記事では、第1回公演の内容や経緯をまとめておきたいと思います。

(個人的な感想が中心です。プロジェクトを共同主催する秋草さん、末冨さんとの共同見解ではない、という点はご留意ください。)


▼第1回公演のあらすじ

まず、本番をご覧いただけていない多くの方のために、今回の演劇がどのようなものだったかを最初にお伝えしておこうと思います。

物語の舞台は西村邸。普段ぼくが宿泊施設(兼カフェ・レンタルスペース)として運営している、築100年超の古民家(町屋)です。店舗としてオープンして間もなく2年になりますが、それまでは空き家になっていた「母の実家」です。ぼくの曽祖父が大正4年に建て、祖父母が受け継ぎ、母が生まれた家です。両親が共働きだったぼくも、子どものころ多くの時間をこの西村邸で過ごしました。

劇中の西村邸の中には2021年と1975年の二つの時空が存在し、それらが切り替わり、重なりながら物語が進みます。
1975年に登場するのは、ぼくの祖父母をモデルにした「ヒデオ」「スミコ」夫妻。2人の娘であり、当然ぼくの母がモデルである「トシエ」。教師である夫妻の後輩であり西村家に下宿をしている「ミチコ」と、トシエの親友である「さーこ」。この2人も、実在する人物をモデルにしています。
2021年には、トシエの子である3兄弟「ユウタ」「ルイコ」「シュンジ」の3人と、近所のお米屋さん、就職のために奈良町に越してきた青年などが登場します。
どちらの時空にも居るペットの犬「タロウ/サブロウ」を除いて、登場人物が時空を行き来することはありません。

(←)お米屋さん役のO君と、本物のお米屋さん中嶋さん(→)
 (写真 大越元)

観客は各回5名前後と、とても小規模です。西村邸は決して”お屋敷”などではなく、一番広い部屋でも約10畳。役者の芝居を同じ部屋の中、真隣に座って観る、文字通り臨場感のあふれるスタイルです。

手前2人がお客さん、奥3人が役者、という距離感
(写真 土肥麻衣子)

観客のみなさんは2021年時空の『奈良の町屋研究会ツアー』の参加者として扱われ、芝居の登場人物でもある古民家大好きな外国人&通訳と共に、西村邸の中を見学して回ります。
西村邸は5つの建物と、それらをつなぐ4つの庭によってできており、その中を行き来すると、時折1975年の時空が顔をのぞかせます。その中で、「別れや死によって失われるもの・失われず受け継がれるもの」を主題に、家族のあり方や、個人の生き方に対する、登場人物それぞれの思いが吐露されます。

現在と過去を交錯させるために、建物の1階と2階、客席となった座敷の右側と左側、”蚊帳(かや)”の内と外など、町屋の中に存在する様々な境界をダイナミックに活かした点と、
劇中に出てくるエピソードのほぼすべてが、出演者や奈良町で暮らす人にインタビューをして作られている点
この2点が、今回の演劇の特異点だと言えます。

町屋のなかに姿を見せる、儚げな雰囲気の少女たち
 (写真 大越元)


▼メンバーに恵まれました

振り返るにあたってまずは、すばらしい脚本・演出家の方に巡り合えたことを喜ばなければなりません。秋草さんが書いてくださった脚本は、西村邸という空間と、そこに宿る時間を余すところなく活かしたものとして、本当に素晴らしいものでした。
ぼくと母を皮切りに、町の人たちや出演者にインタビューを重ねてくださり、得られた断片的なエピソードから1つのストーリーが紡ぎあげられています。ぼくが1年半前に書いた以下の記事は、物語後半の中心になりました。

全体の運営においては、それぞれの普段のフィールドが違うこと、企画自体が初回だということでいろいろと衝突もしましたが、彼女が作ってくれた物語に関しては「ぜひ観てください!」と自信を持って言えるものでした。

そして出演してくれた地域の人たち=【toi】のみんなにも本当に感動させられました。(厳密にはtoiのみんなでは”なかった”人が1人いますが、toiイズムをもってすれば、もはや彼女も”toiのみんな”だと思うので、ひとくくりにしています。)

【toi】は、大越さん&島田さんが地域の若者たちに自宅を開放している…なんだろう。一言で説明できないので、これ、読んでください笑


ときどき一緒に銭湯に行く仲である大越さん&島田さんに「toiに俳優いないかな?」と相談をしたことから、おふたりを含む8人の参加が決まりました。

彼らはみんな「俳優」ではありませんでしたが、執筆や写真、絵画から、映像制作やお笑い、体験コンテンツの運営まで、それぞれの好きな分野で、クリエイティブな活動を楽しむ人ばかり。お芝居でも、豊かな感性を十二分に発揮してくれました。秋草さんたち東京の俳優さんから見ても芝居の筋はよかったようで、ぼく自身も彼らの演技には稽古・本番を通して何度も感動させられました。
また、彼らの感性を大きく肯定的な視線で包み込む大越さん&島田さんの包容力は、今回の演劇にも大きな影響を与えたと感じています。

【toi】は「ひみつきち」なのでぼくの口から多くは語りませんが、今回のプロジェクトに参加していない人も含めて、奈良市内でも特別にクリエイティブな場所です!これからも一緒に楽しいことができたらといいなと思っています。


▼もちろん大変なこともありました

一方で、制作の部分では、いろいろと苦心しました。なにせ、プロジェクトの中心に居るぼく自身に、演劇の制作経験がありません。秋草さんたちも「経験がない人」と演劇を作る経験は少なく、共通言語・共通体験の乏しさに、大いに苦戦しました。

「演劇作りにはどんな仕事があって、誰がそれを担当するのか?」「スタートを0%、本番に求められる完成度を100%としたとき、いまどの位置にいるのか?」という初歩的なつまづきに加え、「未経験者はどれくらいのペースで稽古を進めることができるか?」といった今回ならではの見通しにくい要素もありました。

「制作」という言葉も、さらっと使っていますが、個人的にはかなり混乱しました。

ぼくは以前グラフィックデザインの業界で働いていて、その頃「制作」という言葉は、デザイナーのする”デザイン実務”を指して使っていました。「製作」との用法の違いをご存知の方も多いと思いますが、アーティスティックな表現活動を想起する言葉です。
ところが、演劇業界の「制作」は、アーティスティックな役割の脚本・演出や役者ではなく、”進行・予算管理、外部のコーディネート、プロデュース”など、いわゆる“裏方”"お金周り"の仕事全般を指すようです。(映画とかでよく耳にする「セイサク委員会」は「製作」の方みたいだし、もうよくわからん笑)

細かいことですが、こういうギャップがいろんなところに潜んでおり、けつまづいたり、派手にこけたりの繰り返しでした。

こうした混乱に対しても、地方でのプロジェクト経験が豊富な大越さん&島田さんから、たくさん助言・サポートをいただきました。「初めましての人同士でものづくりするときにはよくあることだよ!」という言葉は心に沁みました…。お2人自身にもご負担をおかけしましたが、1回目のプロジェクトに協力してくれたのが大越さん・島田さんで、本当に有難かったです。

東京↔奈良の物理的な距離から、稽古が重ねられないことにも不安がありましたが、前述のとおり俳優たちの筋がよかったこともあり、直前の10日間でしっかりと煮詰めることが出来ました。揃って稽古らしい稽古をしたのは、この10日間だけです。

制作部分も、今回で一連の流れはつかめたので、次からはもっとやれるぞ!!という気持ちでいます…笑


▼今後の可能性

このように「旗揚げ」らしい拙さ、慌ただしさはあったものの、素晴らしい脚本と役者のおかげで、最初に書いた通り、多くのお客さまにお褒めの言葉をいただくことが出来ました。
期待に応える意味でも、2回目、3回目と継続の道を探っていきたいところですが、やはり、資金面の難しさがあります。今回の企画に関しても、出演者のギャラや滞在費に関しては、文化庁の補助金【ARTS for the future!】に大きく依っています。

独立自営を目指したいのはもちろんですが、売上のために大型の劇場を利用して大規模な公演・集客をすることは、ココ・デ・テアトルの趣旨から外れてしまいます。
ぼくが西村邸の名前でこのプロジェクトを進めているのも、「大きな非日常空間ではなく、小さな日常空間で楽しめるエンターテイメントにこそ、これからの時代に必要」だと、西村邸が普段から考えているから。いたずらに規模を大きくするのではなく、コンパクトな運営・興行体制で継続するという方針でいたいですね。それもこれも、コンセプトの1つである「町の遊休資産などをお借りする」が縛りであると同時に、この企画の特異点として大きな可能性を感じさせるものだったからです。

町の人にインタビューをして、記憶・エピソードを元に、オリジナルの物語を生むこと。

劇場ではない日常の場所が、物語と演出に3次元的、4次元的な広がりを生み出してくれること。

これまで交わることのなかった人々が関わり、記憶を重ね合わせることで、新しい体験を生み出すこと。

こうしたことを、「演劇」とか「劇団」とかいう枠組みにこだわりすぎず続けていきたいと思います。繰り返しになりますが、こんなわがままな可能性を一緒に追求できる人たちが居てくれることを、有難く思います。

観客として来た近くの大学の先生がサポートしてくださったり、日頃から奈良でお世話になっている伝統工藝分野の方が関心を持ってくださったり、奈良県外からも利用できそうな場所をご紹介いただけたり、おかげさまで早くも可能性の広がりが見えてきています。

目の前にいる人の記憶に触れさせていただくということは、一般的な演劇に輪をかけて繊細な行為だと考えています。乱暴に扱うと破れてしまいそうな古いアルバムを、ゆっくりと棚から取り出すように…焦らず丁寧に続けていきたいと思います。

【ココ・デ・テアトル】のこれからの活動に、ぜひご注目ください。

家族写真 
(写真 大越元さんのカメラでタイマー撮影)


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奈良町で、築100年の古民家を改修し、奈良町暮らしの体験施設(宿泊・カフェ・レンタルスペース)を運営しています。



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