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自分のマニュアルで、エモーショナルに生きる―『西村邸』のこと|整理のこと②

こんばんは。
今日こそは午前中更新に戻すぞと意気込んでいたのですが、昼前からなんやかんやハプニング続きで、結局こんな時間になってしまいました。ままなりません…。
そんなこともふまえながら、今日の話を聞いてもらうのもいいかもしれません。昨日の最後に触れた、デザイン/整理が、人生に彩りをもたらすよ~ということの続きです。

最初に断っておくと、恥ずかしながら「人生設計」を語るにはまだまだ未熟。世の同年代と比較しても、行き当たりばったりな人生を送ってきました。もちろんいま、目標は組み立てていますが、今回は置いておきます。
もうちょっと小さな日々の過ごし方の話、あるいはもっと大きな価値観の話かもしれません。

世の中には、楽しいことがたくさんある。それを楽しむためにこそ、整理/デザインが必要だと思います。
楽しいことと同じくらい、別に楽しくないこともある。それを整理して、仕組みにしておく―マニュアライズしておくことが必要なんです。

スティーブ・ジョブズがいつも同じ服を着ていたというエピソードはあまりにも有名で、「人間が1日に意思決定できる回数は限られている」という、いまではかなり一般的になった原則を語るとき、よく引用されます。
彼にとって「今日はどんな服を着ようかな?」「次はどんな服を買おうかな?」という選択は大して楽しいことではなく、もっと重要な決定、心躍る決意のために、切り捨てるべきことだったんですね。

ひらたく言うと「時短」。着る服を選ばないというのは、文明の利器による効率化の精神、人類の進化の歴史と同じ営みの上にあるということです。
川で板を使って洗濯をしていたころに比べて、全自動洗濯機が普及した現代、洗濯にかかる時間は圧倒的に短い。その余暇の時間でもっと文化的、芸術的―「人間らしい」ことしましょう!そう言って人類は今日まで進化してきました。(ぼくもドラム式洗濯乾燥機が欲しいです。)

スティーブ・ジョブズにとってはクリエイティブな仕事が「人間らしいこと」だったのでしょう。
あなたにはそういうもの、ありますか?好きな人と過ごす時間だったり、読書だったり、芸術鑑賞だったり。ぼくはゲームする時間をなんとか確保したいと思いながら、日々の生活を見つめ直しています。

ビル・ゲイツは、お皿を洗うことに芸術を感じるとかで、ほぼ毎日自分で洗っているんだそうです。世間が「食洗器!時短!」と騒いでいる中、世界一の実業家がお皿を手洗いしている。とてもロマンチックじゃないですか?

スティーブ・ジョブズの話と対照的に見えますが、どちらもやっていることは同じ。自分のやりたいこと、リソースを投じたいことを見極めているのです。ビル・ゲイツが毎日皿を洗おうとしたら、きっと他の何かを犠牲にしないといけないでしょうから。


整理収納アドバイザーにとって、「整理」の定義は「不必要なものを取り除くこと」です。
人生にとって何が不必要かはその人次第。まずは落ち着いて、確実に本質まで掘り下げておきましょうね、というのがデザイン的―整理的な手順だというのは、繰り返している通りです。

「不必要」とばっさり切り捨てられれば楽ですが、人生―日々の暮らしには、そうもいかないことの方が多い。服を選ぶのが面倒だからって、ずっと洗濯していない服―あるいは全裸でプレゼンするわけにもいきません。
そこで、「服は黒のハイネックとジーンズ、スニーカー」と決めておく。これが仕組み化、自動化、マニュアル化です。ここまでするのが、暮らしのデザインだと思いますね。

仕組みとかマニュアルなんていうと、すべてを平坦で味気ないものにするかのように聞こえますが、ぼくはそうではないと考えています。
むしろ、すべてのものをないがしろにしない工夫―やらなければいけないことは最低限のクオリティを維持しながら、本当に大切にしたいことを確実に迎える、それをエモーショナルに楽しむための努力だと思います。ビル・ゲイツにとって、皿洗いはとてもエモーショナルな行為なのでしょう。

スターバックスコーヒーには接客マニュアルがないというのも、これまた有名な話だと思うのですが、逆に接客以外の部分は、本当に隅々までマニュアル化されています。お客さんと向き合うことを一番大切にしたいのであれば、他のすべてをマニュアル化することは必要不可欠。これがスターバックスの選んだデザインだと、ぼくは理解しています。

いろんな可能性や関係性を簡単に拓けるようになっている現代は、自分の中のマニュアル―自分ルールをしっかり持たないと、大切なものが守れない世界だと感じます。
そんな中で注目が集まっている「デザイン思考」や「片づけの魔法」。一面ミーハーかもしれませんが、その根本にある精神は、きっと何かの手がかりになるはず。ぼくはそう考えています。


最後に少し余談。先週末、久しぶりに会ったサークルの後輩と「意思決定できる回数に、個人差はあるか?」という話をしました。後輩さんは最初「ある」説を提唱していましたが、ぼくは「ない」派。
先天的に差があるなら、そもそもスティーブ・ジョブズの話は流行らないと思うし、後天的に差が作れるなら、「効率化」と同じくらい「意思決定回数を増やすためのトレーニング」も流行っているはずだけど、いまのところあまり聞かない。人間みんな、物心ついてからボケるまで100のまま。それをどこに割り振っているかが違うだけじゃない?というのがぼくの考えでした。どうでしょうか。

ちょっと抽象的に、ふわふわっと進んだような気もしますが、いかがだったでしょうか。
毎日これを書くこともエモーショナルな体験。1週間の平日を連続テーマで連載というのも、それを続けるための、ぼくなりのデザインです。

明日はこんなことを考えながら、もう少し「仕事」にフォーカスして話していく予定です。またよければ覗きに来てください。今日もありがとうございました。

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