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『西村邸』のこと―デザインのこと②デザインとアート

こんにちは。今日は、ぼくの考える「アート」と「デザイン」の違いについて、です。これももう本当に、いままで飽きるほど繰り返されてきた話です。
こんな話題を選んでおきながら、最初から逃げを打つようで恐縮なのですが、美術や芸術に関しては門外漢もいいところです。
どちらかというとデザイン側からの視点で、「なぜこの違いを考える必要があるのか」という話ができればいいかなと思います。話半分にでも、聞いていただけたら嬉しいです。


「デザイン」と比較したとき「アート」は、客体にとって適正であるかどうかという視点を削ぎ落とした、主体寄りの表現だと考えます。他人が使うこと以上に、内省の深さ、自分の存在の表現に重きを置く。「芸術は爆発だ!」と言われる所以です。

全てのアートが、まったく客体を無視するかというと、もちろんそんなことはありません。文章もグラフィックも音楽も映像も体験も、客体があって完結するアートなのでしょう。
それとデザインの間にあるのは、長くなだらかなグラデーションです。どれだけ客体を意識しているか―昨日の言葉を使うと、客体に対する「計画」をどの程度しているか、というグラデーションが、デザインとアートの間にはあるのではないでしょうか。ふたつの間に明確な線引きは存在しないし、引く必要もないのかもしれません。これからより複合的なものが増えていくでしょう。


ただ、ぼくがひとつ重要だと考えるのは、デザイン側が「自分のつくるものは、アートではなくデザインだ。」という意識を持つことです。主体としても客体に対しても、しっかりと計画をする、ということです。

そこを掴み逃すと、「なんとなくみんなが好きそうな、おしゃれなの作っといたよ」という、主体にとっても客体にとっても浅いものが生まれてしまいかねない。
それは、アートでもデザインでもない。誰にも寄り添うことのない、えてしてその場しのぎ的な、歪んだ存在です。それが怖いなと思っています。

ここでは何がそうだとは言いませんが、デザイン的な商売臭さに、アートの表面的な奇抜さだけをかけあわせたような存在、あるでしょう?いろいろと。


そういうその場しのぎな存在を生まないために、ぼくたち―大なり小なり何かを生み出す人間が、これからも「デザインとは何か」「アートとは何か」という問いを、繰り返していく必要があるんだと思います。満場一致の結論が出なかったとしても、その過程で、表現すること、ものを生み出すことに対する美学が、研ぎ澄まされていくのではないでしょうか。


いつもながら、大層な話で恐縮です。でもやっぱり一人一人が考えていかないとね…少し前に友達と、「デザインはデザインとして、学校の美術の時間に教えるべき!」みたいな話もしました。
今日も最後まで読んでくださった方…ありがとうございます。あなたはどう考えますか?

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