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『西村邸』のこと―デザインのこと③機能美

西村邸の目標は、「使うもの永く愛する。永く愛せるものを使う。」その喜びを届けることです。今週はデザインの話なので、じゃあどういうデザインが永く続くんだろうね、ということを考えてみたい。
まず今日は、客体―使用者側寄りの観点で「機能美」というものについてお話しします。
今週もなんやかんやカタい感じが続きますね笑 よければお付き合いください。


辞典にあらわされている、機能美の定義はこんな感じです。

―建築・工業製品などで、余分な装飾を排してむだのない形態・構造を追求した結果、自然にあらわれる美しさ。

なるほど?
ぼくは、使用者の本質に対して適正なデザインが、機能美だと思います。

例えば、やかんというのは「定量の水を溜める―その水を沸かす―注ぐ」ための道具です。この機能は、基本的に誰が使っても変わらない。100年前から同じです。この機能に集中して、その他の要素をそぎ落としていった結果現れるのが、機能美をそなえたやかん。そういうことですね。

他の要素というのが装飾です。柄のところに彫刻をしてみたりとか、色を塗ったりとか…こういうものは、やかんの機能に対しては余分なものです。
そして100年も経てば、いろいろな流行り廃りがあって、「ちょっとこの装飾は、いま使うの恥ずかしいよね~」となりかねない。

水を沸かすという行為も、100年間で本当にいろんなイノベーションが起きたと思います。ですが、「水は高いところから低いところに流れる」という原理が、社会の流行と同じ速度で変わることはありません。20世紀から21世紀になったら、水が100度では沸騰しなくなった、なんてこともありませんでした。
ですので、やかん本来の機能にフォーカスしたやかんは、そうでないものと比べて、永く使われる可能性が高い。機能美というのは、ずっと価値の変わらない装飾だと言い換えられるかもしれません。
こういう理由でぼくは、永く続くデザインに対する機能美の貢献は、とても大きいと考えています。


機能美をそなえたデザインの計画は、ひとりの使用者の趣味趣向に対する計画ではなく、人間が水を沸かす/注ぐという行為に対しての計画です。ですのであえて、使用者の「本質」に対して適正だ、というふうに言わせていただいています。

あらかじめ、長い時間の中で、多くの人の手を渡っていくことが見越されている、と考えることもできるでしょう。
こういったものは当然、単純に使いやすい。誰が使っても本来の機能を発揮しやすい、最大公約数的なデザインです。際立って目を引くことはないかもしれませんが、なんだかんだ、一番多くの人に愛されるものだといえます。


そしてぼくは、その他にも愛される理由があると考えます。それは、機能美をそなえたデザインを使うことで、使用者自身が本質に立ち帰る感覚を持てるのではないか、ということです。

コンビニの無機質な電気ポットからジョバジョバ流れ落ちるお湯を見慣れていると、やかんの斜めに切った注ぎ口からスッと流れ出るお湯が、妙に新鮮に、美しく見える。見ているとなんだか落ち着く。そういう感覚です。「あー、いまおれ、お湯そそいでるわー」と。そういうの、ありませんか?笑

ぼくはコーヒーをハンドドリップしているとき、とてもこれを感じます。もちろん毎回噛みしめているわけでもないのですが、日常のこういう瞬間に、ある種の自然、本質に立ち返る感覚が潜んでいると思います。

あまりスピリチュアルな話はしたくないですし、いたずらにアナクロニズムを追及する人間でもないと、自分では思っています。
ただ誰しも、1日のどこかにそういう瞬間を見つけることで、ほのかな安らぎを得て、地に足をつけて日々を生きていけるのではないでしょうか。(余談ですが、かのビル・ゲイツは、お皿を手で洗うことに芸術を感じるらしいですよ…)
機能美を備えたデザインは、そんな瞬間を見出すきっかけをくれるものだと言えます。

昨日、美容師さんに毎日投稿のこと話したら、すごくおだててくれたので、今日もがんばれました笑 遅めの時間の投稿になりましたが、今日も読んでくださってありがとうございました。
明日は「デザインのこと」最終回。永く続くデザインネタその②で、ブランドについて話す予定です。

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