【ピリカ文庫】獣山の歌姫
「呑気に歌なんか歌ってるんじゃない。あんたは山姥の末裔だ」
幼い頃、そうやって母さんによく怒られた。
私は、日本昔ばなしでも出てくる山姥の末裔で、母さんが早くに亡くなったため、まだ若くはあるがこの山の山姥を引き継いだ。
「人間が来たら、人間のふりをして家に泊め、たらふく食べさせて寝かせなさい。そして、人間が寝たら食べるのよ」
よく母さんが言っていた。
私は歌うことが好きで、暇さえあれば山で歌っていたかった。でも、歌うのではなく、人間を襲う練習をしろと怒られていた。
かつて私たちの食料は、人間だった。
母さんの頃は、近くのキャンプ場も賑わっていたため、道に迷ったキャンプ客が獲物だった。
だが、キャンプ場閉鎖後は人間が来なくなっため、山菜や動物を食べるほかない。
それは、天気の悪い日だった。
家の戸をコンコンと叩く音がした。
「あの、すいません道に迷っちゃって」
ついに、私にも人間を狩る日がやってきた。
「どうぞ、あがってください」
今までのシミュレーション通りやれば問題ない。
その青年は、登山中天気が悪くなり、迷ってしまったのだと言う。
「何か作りますね」
昨日狩った猪で鍋を作り、青年に振る舞った。
青年は鍋を美味しそうに食べながら話しかけてきた。
「あの、お名前聞いてませんでしたね」
私に名前なんてない。何から取ろう。キャンプ場で拾った雑誌の名前、小悪魔…
「アゲハ…です」
「アゲハさん。素敵なお名前ですね」
良かった、小悪魔agehaを読んでおいて。
「あっ僕の名前は、アユムです」
「素敵なお名前ですね」
ありがとうございます、とアユムは笑顔で言った。
「そういえば、アゲハさん僕が戸を叩く前歌ってましたよね」
「えっ」
「なんだか優しくて良い声でした」
聞かれていたのか、恥ずかしい。
そんな話をしている間に、夜が更けていった。
「布団を敷きますね」
とうとうこの時間になってしまった。
久しぶりに誰かと話せたのが楽しく、アユムとの別れが惜しかった。
「では、おやすみなさい」
アユムは寝たらしい。
母さんに言われた通り、包丁を研ぐ。
私は眠っているアユムに近付いた。
これからこの人を食べなければならないのか。
どうやら、初めてのことに緊張しているらしい。
だが、この機会を逃すわけにはいかない。
落ち着いて、シミュレーション通りやれば良い。
そう考えているうちに、胸がズキズキと苦しくなってきた。
苦しい、呼吸が速くなる。
「アゲハさん、大丈夫ですかっ」
アユムが乱れた呼吸の私に気がつき、目を覚ました。
アユムは、咄嗟にビニール袋を取り出し私の口に当てた。
「ゆっくり深呼吸して」
「吸って、吐いて、息を吐くことに集中して」
「吐き切ったら自然と深呼吸ができるから」
少しして、私は落ち着いた。どうやら過呼吸というものになったらしい。
「すいません…」
「謝らなければいけないのは僕です」
「いや…」
「なんだかお疲れの時僕を泊めてもらって…」
そうか、私は疲れていた。
山姥の人間を食べるという習わし。
人間を襲うシミュレーション。
来るはずもない人間を待つこと。
でも、人間を襲うこともままならず。
「聞いてください、私…」
堰を切ったように涙が溢れ、自然と口が開いた。
自分が山姥であること。
アユムを食べるために家に泊めたこと。
名前は小悪魔agehaから取ったこと。
そして、歌が好きなこと。
彼は、黙って頷いて聞いてくれた。
「山姥は、自分が山姥であることを人間に明かしてはいけない掟です。掟を破ったらもう山にはいられない…」
「そしたら…僕と山を降りませんか」
「えっでも…」
山姥でいることは嫌だった。掟も破った。
でも、山姥である自分を捨てる覚悟がなかった。
「習わしとか古いものはどうでも良いんです。アゲハさんはアゲハさんの幸せを掴みましょう」
そうか…幸せ。私の幸せを探しに行きたい。
次の日、私たちは山を降りた。
どうやらアユムは音楽プロデューサーらしく、アユムの紹介で歌手の養成所に入った。
トレーニングは決して楽しいことばかりではなかったが、好きな歌を歌えるならなんでも耐えられた。
山の上で歌っていたためか、声が通ると講師に褒められた。
そして、「獣山の歌姫」というキャッチフレーズで、初ステージが決まった。
嬉しい気持ちが大きかったが初めての大舞台、ステージ袖で私は手に汗を握っていた。
どうやら初めてのことに、緊張しているらしい。
だが、待ちに待った日だ。
落ち着いて、練習通りやれば良い。
呼吸が速くなり、いつかの出来事を思い出す。
「アゲハさん、深呼吸」
ポンと肩を叩かれ振り返ると、アユムはいつか見た笑顔で声をかけてくれた。
「吸って、吐いて、息を吐くことに集中して」
アユムはあの日のように、また、私を落ち着かせてくれた。
吸って、吐いて、深呼吸。
私は歌える。
「それでは、獣山の歌姫、アゲハさんです」
舞台に立つ。
白いスポットライトを浴びる。
山姥だった自分も、歌が好きな自分もどちらも本当の私だ。
私は、雲の上の母さんにも届くように、歌う。
(2,016文字)
▼ピリカさんからお話をいただき、「深呼吸」をテーマに書かせていただきました!
お誘いいただき、ありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?